日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポアチエの戦い」の意味・わかりやすい解説
ポアチエの戦い
ぽあちえのたたかい
フランス中西部のポアチエPoitiersで行われた戦闘。二つある。
(1)732年10月、フランク王国の宮宰カール・マルテルが、スペインから侵攻したイスラム軍を、トゥールToursとポアチエの中間地点で撃破した。
(2)百年戦争下の1356年9月、ポアチエ南東の原野で英仏軍が対峙(たいじ)。エドワード黒太子指揮下のイギリス軍は1万数千人、フランス王ジャン2世の軍勢はその4倍といわれる。有利な地形を占めたイギリス軍は、長弓隊と槍(やり)隊を段型に組み、側面に騎士隊を配して待ち受けたが、ジャンは弩(いしゆみ)隊と騎士隊を混成して弩隊の活動を不能にし、加えて後続の重装騎士隊の大半に下馬を命じて攻撃のリズムを狂わす結果を生んだ。結局、フランス軍は2500人の死者を出し、ジャン自身とその末子フィリップを含む多数の者が捕虜となって敗戦。ジャンの長子シャルル(後の5世)はからくも戦場を脱出、パリに帰還して王政の立て直しを図った。
[堀越孝一]