20世紀日本人名事典 「ポーレーエドウィン」の解説
ポーレー エドウィン
Pauley Edwin Wendell
07の石油産業家
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1903年1月7日
- 没年
- 1981年7月28日
- 出生地
- インディアナ州インディアナポリス
- 学歴〔年〕
- カリフォルニア大学(自然科学)卒
- 経歴
- 石油業界に入り、石油採掘で成功、百万長者となった。土地開発、銀行業にも進出。1944年民主党会計責任者を務め、’45年大統領特使兼大使の資格で日本、ドイツなど旧枢軸国に対する賠償政策の責任者となった。米国の賠償政策は、連合国間で見解が一致せず、冷戦過程で統一的政策は消滅した。同年11月対日賠償処理のため来日、「ポーレー中間報告」を公表。それによる日本経済の水準は、’30年ごろと同じで、その低さに日本政府は衝撃を受けた。ポーレー調査団は’46年4月「最終報告」をまとめ解散、細目は国務省、陸軍省、極東委員会に委ねられた。結局ポーレー報告は紙上計画に終わった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報