日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミティレネ」の意味・わかりやすい解説
ミティレネ
みてぃれね
Mytilene
今日のギリシアのエーゲ海北東部、レスボス島東岸にあったアイオリス人のポリス(都市国家)。島の最大のポリスで、紀元前7世紀にペンティロス家を中心に貴族政が行われていたが、同世紀後半から、詩人アルカイオスなども加わって激しい党争が繰り返された。前600年前後にヘレスポントス(ダーダネルス海峡)入口の拠点シゲイオンがアテネの攻撃を受け、コリントの僭主(せんしゅ)ペリアンドロスの調停の結果、アテネに与えられるという事件も重なったが、前6世紀前半に、ギリシア七賢人の1人にも数えられた調停者ピッタコスの統治によって秩序を回復した。同世紀後半にペルシアに屈し、前5世紀にはイオニア反乱に加担して敗れ、デロス同盟に加盟して、その最有力ポリスの一つになった。しかし前428~前427年離反に失敗し、厳しく処罰されて決定的な打撃を受け、前4世紀には第二次アッティカ海上同盟に参加し、前2世紀以後は、一時期を除きローマとの友好関係を維持した。
今日の市は、現代ギリシア語でミティリーニMitilíniと発音され、レスボス県の県都で、人口2万4115(1981)。二つの港があり、オリーブ油や果実を積み出す。
[清永昭次]