改訂新版 世界大百科事典 「イオニア反乱」の意味・わかりやすい解説
イオニア反乱 (イオニアはんらん)
ミレトスを中心とするイオニアのギリシア人諸市がペルシア王ダレイオス1世の支配に対しておこした反乱。前499-前494年。ミレトスの僭主アリスタゴラスは,ナクソス遠征をダレイオスに勧めたが,前499年これに失敗して進退きわまっていた時,スーサにいた義父ヒスティアイオスのもとから謀反の指令を受けたこともあって,反乱を決意した。ミレトス人が進んでこれに荷担するように,自ら僭主政を廃して平等政治をしき,他のイオニア諸市の僭主を捕らえてそれぞれの国の民衆にひき渡し,さらに本土に渡って援助をめた。スパルタは拒否したがアテナイはこれを援助し,20隻の兵船を送った。エレトリアも5隻の兵船を送った。反乱軍はサルディスを占領してこれを炎上させた(前498)。しかしペルシア軍の反撃がしだいに功を奏しラデ沖の海戦でイオニア連合軍を破り,さらにミレトスを占領した(前494)。ダレイオスはこれによってギリシア本土攻撃を志すこととなり,これがペルシア戦争の導火線となった。
→ペルシア戦争
執筆者:太田 秀通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報