ミリアム・マケバ(読み)みりあむ・まけば(英語表記)Miriam Makeba

知恵蔵mini 「ミリアム・マケバ」の解説

ミリアム・マケバ

南アフリカ共和国の黒人女性歌手。1932年3月4日、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生まれ。本名はZenzile Miriam Makeba。18歳で出産し間もなく離婚、家政婦をして生活を支えた。50年代よりジャズボーカリストとして音楽活動を始める。56年、ダンス音楽「Pata Pata」が大ヒットし、南アフリカでの名声を確立した。59年に渡米、「アフリカの歌姫」として話題を呼び、「Pata Pata」は世界的ヒット曲となった。60年、南アフリカ政権がマケバの市民権を奪ったのを機に、63年と64年に国連の特別委員会で証言するなど、政治運動を活発化させた。66年、ハリー・ベラフォンテとの共作「An Evening With Belafonte/Makeba」で、アフリカの黒人女性として初めて米グラミー賞を受賞。67年、反アパルトヘイトの映画への出演などにより国外追放となり、以降亡命生活に入る。69年、ギニアの大統領に招かれ、3人目の夫であり米黒人解放運動の急進派勢力「ブラック・パンサー」の党首だったストークリー・カーマイクルとともにギニアに移った。アパルトヘイト体制が崩壊した90年、ようやく南アフリカへ帰国。「ママ・アフリカ」と呼ばれ敬愛された。2005年、引退。08年11月10日、出張先のイタリア心臓発作のため死去。享年76。同日、ネルソン・マンデラ元大統領は「われわれの新生国家の母親的存在だった」との追悼コメントを発表した。

(2013-3-5)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

20世紀西洋人名事典 「ミリアム・マケバ」の解説

ミリアム マケバ
Miriam Makeba


1932.3.4 -
アフリカン・ロック歌手。
南アフリカ出身。
別名Miriam Zenzi Makeba。
ホサ族出身。音楽をキルマートン訓練学校で学ぶ。1954年アフリカのミュージカルキング・コング」に主演。’58年人種暴動の記録映画「アフリカよ帰れ」に主演し、挿入歌二曲を歌い世界的に知られる。同映画が原因で祖国を追われ渡米。’67年「パタ・パタ」が大ヒットし、世界中のヒットチャートを急上昇させる。アメリカの過激派黒人運動家S,カーマイケルと再婚。その後アフリカに戻る。強い個性と高い音楽性を持つ異色歌手として貴重な存在。’68年来日。代表作「ミリアム・マケバ・イン・コンサート」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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