改訂新版 世界大百科事典 「モハーチの戦」の意味・わかりやすい解説
モハーチの戦 (モハーチのたたかい)
1521年にベオグラードを陥落させてドナウ・サバ川以南を平定したスレイマン1世のオスマン帝国軍が,ドナウ川を越えて26年にモハーチMohácsでハンガリー軍を破った戦い。おりからハンガリー国内では,ポーランド出身の若いラヨシュ2世が貴族の掌握に苦労し,カトリックとルター派の対立が激化,1514年のドージャの乱後の貴族による農民抑圧が進行し,野心的貴族サポヤイが王権を狙って,国内の統一が失われていた。加えてキリスト教世界も,フランスとオーストリアの対立,ドイツでの宗教改革や農民戦争などにより分裂していた。この後ハンガリーは,北西部のハプスブルク家のおさえるハンガリー王国,中央大平原のオスマン帝国領,自治的なトランシルバニア公国に3分割され,オスマン帝国はやがて最大領土を樹立する。一時,モハーチでの敗戦がハンガリーでのいわゆる〈再版農奴制〉成立の原因とされたり,オスマン帝国支配の破壊的性格が強調されていたが,近年においてはそれは否定されている。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報