ユーリヒ公国・辺境伯領(読み)ユーリヒこうこく・へんきょうはくりょう(その他表記)Herzogtum und Markgrafschaft Jülich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユーリヒ公国・辺境伯領」の意味・わかりやすい解説

ユーリヒ公国・辺境伯領
ユーリヒこうこく・へんきょうはくりょう
Herzogtum und Markgrafschaft Jülich

ドイツ北西部の小領邦。ライン河谷からドイツの旧都アーヘンにいたる街道を掌握する位置にあったため中世には重きをなした。 1336年辺境伯領に昇格,地理的位置からオランダと深い関係をもっていた。 16世紀には近隣クレーベ,ベルクと合体し,事実上一公国が成立 (→クレーベ公国 ) 。小邦ではあったが政治的には重要な存在で,1609年ユーリヒ継承戦争が発生し,14年のクサンテン条約でクレーベはブランデンブルクに,ユーリヒ・ベルクはファルツ=ノイブルクに併合された。

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