ドイツ西部,ラインラント・ファルツ州の地方。プファルツとも記される。ラインヘッセン・ファルツ行政区の中央部と南部に当たり,ライン川の左岸にあって南はフランスのアルザスと接している。ライン川と左岸のハールト山地の間に上部ライン平原の一部をなす平地があるが,あとは山地が多い(ファルツの森,北ファルツ山地はいずれも高さ500~600m程度)。ハールト山地のライン側山麓はワイン街道Weinstrasseと呼ばれるブドウ酒の産地である。ライン川河畔にはシュパイヤーやウォルムスなど中世から宗教改革時代の歴史を秘めた古都が連なる。近代的工業はライン川河畔のルートウィヒスハーフェンやファルツの森の中のカイザースラウテルンを中心とし,金属・化学工業や機械・自動車工業がある。
ファルツの名は中世の王宮(ファルツ)とそれを管理する宮中伯領(ファルツグラーフシャフト)に由来する。この宮中伯領は12世紀以降ライン川右岸地域にも広がり,その中心都市はハイデルベルクであった。13世紀はじめ皇帝フリードリヒ1世はこれをウィッテルスバハ家に授封,1356年の金印勅書で宮中伯は選帝侯に任ぜられた。1386年創立のハイデルベルク大学はこのファルツ選帝侯のつくった大学である。ファルツは1410年4支国に分割され,その後18世紀末まで幾度も分割と統合を繰り返すが,統一的領邦国家は最後まで形成されなかった。その間宗教改革が行われて新教が導入され,ファルツ選帝侯は一時期新教陣営で力をもったが,三十年戦争のはじめボヘミア国王に選ばれたファルツ選帝侯フリードリヒ5世(冬王)(在位1610-23)がビーラー・ホラの戦(1620)で神聖ローマ皇帝軍に敗れ,ファルツからヨーロッパ的権力が生まれる道は閉ざされた。1688-97年ファルツ戦争でフランスのルイ14世の侵攻を受け,ファルツの国土は荒廃する。フランス革命とナポレオンの時代,ライン左岸のファルツはフランス領となり,右岸のファルツは近隣諸国に併合された。ウィーン会議による領土再編成の結果1816年にライン左岸の旧ファルツ領と他領の断片からバイエルン領ラインファルツがつくられ,これが今日のファルツにつながっている。
執筆者:坂井 栄八郎
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