ラウルカストロ(その他表記)Raúl Castro

現代外国人名録2016 「ラウルカストロ」の解説

ラウル カストロ
Raúl Castro

職業・肩書
政治家,革命キューバ国家評議会議長(元首),キューバ閣僚評議会議長,キューバ共産党第1書記

国籍
キューバ

生年月日
1931年6月3日

出生地
オリエンテ州ビラン

本名
カストロルス,ラウル〈Castro Ruz,Raúl Modesto〉

学歴
ハバナ大学中退

受賞
レーニン章〔1979年〕

経歴
フィデル・カストロの弟。1953年7月のモンカダ兵営襲撃に参加、失敗して入獄。’54年大赦により釈放メキシコ亡命。’55年兄フィデルの組織した革命軍に参加。’56年以来の革命戦争に加わる。’59年1月バチスタ政権を打倒し、2月兄が首相に、自身は革命軍参謀総長に就任。’60〜72年副首相。’61年中央計画委副委員長。’62年革命統一組織(ORI,現・キューバ共産党)全国指導委第2書記。’65年より共産党第2書記兼政治局員。’72〜76年第1副首相兼国防相。’76年12月より国家評議会第1副議長、閣僚評議会(内閣)第1副議長、国防相。2006年7月兄が腸の手術を受けたため、暫定的に最高指導者権限を委譲される。2008年2月兄が健康問題を理由に引退し、国家元首にあたる国家評議会議長に選出される。閣僚評議会議長および軍総司令官兼任。最高指導者が変わるのは1959年のキューバ革命以来、初めてとなった。2009年内閣改造。2011年5月兄の完全引退に伴い、共産党第1書記に昇格。2013年2月国家評議会議長再任。2015年7月パナマで米国のオバマ大統領と1961年の国交断絶以来初となる首脳会談を行った。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ラウルカストロ」の解説

ラウル カストロ
Raúl Ruz Castro


1931.6.3 -
キューバの政治家。
キューバ軍事相。
オリエンテ州ビラン生まれ。
キューバの最高指導者フィデル・カストロの実弟で、ハバナ大学に学んだ後、反バティスタ独裁闘争に参加し、ゲリラ戦の指導者として才能を発揮した。革命の後、1959年10月に革命軍事相に就任し、以降軍部の指導者となっている。’60〜72年副首相。’72年より第1副首相兼国防相。’76年より国家評議会第1副議長。フィデルに次ぐ地位にあり、その指導力は高く評価されている。妻のビルマ・エスピンはキューバ婦人同盟議長である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

知恵蔵mini 「ラウルカストロ」の解説

ラウル・カストロ

キューバの政治家、革命家。1931年6月3日、東部ビラン生まれ。ハバナ大学で学んだあと、兄であるフィデル・カストロとともにゲリラ戦によって59年にバティスタ政権を倒し、キューバ革命を率いた。革命軍事相に就任したあと、62年より副首相、72年より第1副首相、のち国家評議会第1副議長を務めた。2008年、健康問題で引退した兄のフィデルに代わって国家元首である国家評議会議長に就任した。18年4月、キューバ人民権力全国会議がラウルの議長職退任を発表。新議長には、国家評議会第1副議長だったミゲル・ディアスカネルが選出された。

(2018-4-26)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android