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内閣 ないかく cabinet

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

内閣
ないかく
cabinet

国家行政機関の一つ。語源は中国の明,清時代,宰相のいる役所をさしたことによる。各国の政治事情により内容が異なるが,イギリスの内閣に代表される議院内閣制アメリカなどにみられる大統領制によるものに大別できる。

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デジタル大辞泉の解説

ない‐かく【内閣】

国家の行政権を担当する最高の合議機関。首長である内閣総理大臣およびその他の国務大臣で組織され、行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負う。また、天皇国事行為に助言と承認を与え、その責任を負う。職務として、一般行政事務、外交関係の処理、条約の締結、予算の作成、政令の制定などの事務を行う。日本では明治18年(1885)太政官制を廃止して設置。
中国、代の国政の最高機関。明初、中書省を廃止したのち、宰相職として明の永楽帝殿閣大学士(のち内閣大学士と改称)を置き、内閣と称したのに始まる。清代に軍機処が設置されたのち、しだいに実権を失った。

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世界大百科事典 第2版の解説

ないかく【内閣 cabinet】

首長である内閣総理大臣(首相)および他の国務大臣からなる合議体。規模は国や時期によって一定しないが,現代では20名前後が普通であり,日本の内閣法(1947公布)は定員を21名と定めている。日本やイギリスなど議院内閣制の国では国家行政の最高機関である。その会議を閣議,構成員を閣僚,首相が閣僚を選任し内閣を組織することを組閣という。衆議院や下院の議席の過半数を占める政党の党首が首相となるのが現代政党内閣制の通則であり,過半数政党のない場合等には,政策協定を基礎に2党以上から閣僚が出て連立内閣が形成されるか,閣僚は出さずに政策協定等を基に内閣に協力する閣外協力行われる

ないかく【内閣 nèi gé】

中国,明・清時代の政治機関。明の太祖は中書省を廃して政務を親裁し,輔佐機関として殿閣大学士を設けたが,永楽帝は翰林院より数人を選んで宮中の文淵閣に入れ機務に参与させた(1402)。これが中国の内閣制度の起源で,その後,閣臣に殿閣大学士の官が加えられてから内閣大学士の称が起こった。その職掌のうち最も重要なことは,諸臣の上奏文に対して天子が書き入れる批答すなわち決裁の原案を作成することで,これを票擬という。

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大辞林 第三版の解説

ないかく【内閣】

内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織し、国の行政権を担当する最高の合議機関。閣議による意思決定にもとづいて行政権を行使し、国会に対して連帯してその責任を負う。また、天皇の国事行為について助言と承認を行い、その責任を負う。さらに一般行政事務、条約の締結、予算の作成など多くの重要な職務権限を有する。 〔漢籍では「奥深い内方の殿閣」の意。ウィリアムスの「英華韻府歴階」(1844年)に cabinet の訳語として載る。日本では「米欧回覧実記」(1877年)が早い例〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内閣
ないかく
cabinet英語
Kabinettドイツ語
conseil des ministresフランス語

国の行政権を担当する最高の合議機関。政治的に普通、政府と称される。内閣ということばは、英語のcabinetの訳語であるが、その語源は、中国の明(みん)・清(しん)時代の宰相の官署をさしたものである。内閣についてもっとも古い歴史を有するイギリスでは、チャールズ2世の時代(17世紀後半)に議会にも影響力を有する5人の寵臣(ちょうしん)貴族を選んで重要な国務や議会対策を委任したが、この5人が隠密裏に宮廷の奥深い小部屋cabinetで会合し、協議を行ったところから、そこで会議を行う人々の集まり(内閣)をcabinetとよぶようになったといわれている。今日、行政権を担当する国家機関として内閣を設ける国は多いが、その権能・組織はそれぞれの国の歴史的・政治的背景の違いに応じて多様である。[小松 進]

諸外国の内閣制度


イギリス
議院内閣制の母国ともよばれるイギリスは、内閣についても長い歴史をもっている。その起源は11~12世紀のノルマン王朝の時代にまでさかのぼることができるといわれるが、初期の内閣は国王の諮問機関として国政上の政策決定・執行について助言・補佐するものであった。やがて議会政治が発達するにつれて、内閣は王権の補佐機関から議会の統制の下に国の行政権を担当する機関へと変容する。1688年の名誉革命により内閣は議会の多数党の支持を得なければならなくなり、国王は議会の議員を大臣に任命するようになった。その後、国王に対して責任をとっていた大臣が連帯して議会に対し責任を負うようになり、1783年に成立した小ピット内閣のとき、下院の不信任決議に対し解散権を行使し、イギリスの内閣は議院内閣制の道をたどるのである。1832年の選挙法改正後内閣に対する議会の統制力が増大し、「内閣は議会の一委員会のごとき存在である」(バジョット)と評されることになるが、19世紀後半からの選挙法改正により政党政治が発達したこと、また福祉国家体制における内閣の役割が増大したことによって、内閣の議会に対する優位の傾向が顕著となった。内閣は選挙において多数を占めた政党の党首が総理大臣となり、その政党所属の下院議員を中心に組閣される。したがって、議会における政党的基盤を背景に、法律案の提出、議事日程の決定、財政その他の施策の立案など議会の主要な活動すべてにおいて、内閣は指導的役割を演ずるのである。さらに、両大戦を通じて戦争遂行のため、政治的決断力・行動力を備えた指導者が望まれ、チャーチルに代表されるような国民的支持を受けた首相が現れたこともあって、今日では、内閣における総理大臣の地位が著しく強化された。そこで、イギリスの政治は内閣政治から内閣総理大臣政治に移ったとさえいわれるようになっている。イギリスの内閣は、首相を中心に20名前後の大臣により構成されるが、そのほかに閣議に加わらない閣外大臣が30~40名ぐらい任命されている。[小松 進]
フランス
フランスは伝統的に議院制の国、執行府の権力の弱い国として知られてきた。第三共和政では約100の内閣が成立したが、その半数近くは半年以下の寿命であり、第四共和政では18の内閣が誕生したが、平均寿命は約8か月であったといわれる。内閣の弱体と不安定の原因としては、行政府による議会解散権の行使が困難であったこと、小党分立のため内閣の政党的基礎がきわめて脆弱(ぜいじゃく)であったことなどがあげられている。
 現在の第五共和政憲法(ドゴール憲法)の最大の特色は、政治制度の中心的機構、その推進力を大統領とした点にある。大統領は、首相を自由に任命することができ、議会を解散する権能を有し、例外事態権として国家的危機に際して、一定期間「準絶対権」をもつなど憲法上強大な権能を付与されている。内閣はこの大統領の権威のもとに成立し、国政を決定し処理にあたる機関である。つまり、大統領が統治権力をもち、首相が狭義の執行権を保持しているといえる。首相および閣僚は国会議員との兼職を禁止されているが、両議院に出席して発言し、国会に対して責任を負う。フランスの現行内閣制はイギリスのそれとも第四共和政までのそれとも異なった「議院内閣制と大統領制との奇妙な混合」(ヒッチナー、ハーボード)といわれる独特の体制である。[小松 進]
アメリカ
権力分立の原理を基礎とするアメリカの政治制度では、大統領制が採用され、これに行政権がゆだねられている。アメリカにも内閣cabinetといわれるものが存在するが、それは議院内閣制の国における首相を中心とした合議体としての内閣と異なり、大統領が自由に任免する12名の各省長官によって構成され、大統領が主宰する会議体を意味する。これは憲法に規定のない慣行上の制度であり、閣員はなんら法的地位も権限ももたない。また各閣員が大統領に対して責任を負うが、合議体として連帯責任を負うものではない。アメリカの内閣は、いわば大統領に助言する機関であり、議院内閣制をとる国の内閣に相当する機関は、アメリカにおいては大統領である。[小松 進]

日本の内閣制度


沿革
日本に内閣制度が導入されたのは1885年(明治18)である。それまでの太政官(だじょうかん)制がようやく近代国家として発展してきた日本の国政運営に適合しないと考えられ、また、4年後の国会開設後の中央行政組織の整備のため、ヨーロッパ先進国、とくにプロイセンを範として構想されたものである。初期の内閣は、天皇の内閣として議会・政党に対し超然たるべしとの「超然主義」を基本とした。しかし、法律・予算についての「協賛」権を武器にしだいに力を伸ばしてきた議会から政府はいつまでも超然としていることはできず、日清(にっしん)戦争を境に議会の有力政党への譲歩・連携の方針にかわった。大正時代に入り、2回の護憲運動(イギリス型の内閣制を「憲政の常道」として追求し、議会における政党の発言権を強化しようとするもの)があり、原敬(たかし)内閣以後政党内閣が続き、いわゆる大正デモクラシーにおける政党政治が行われることになる。しかし、議会主義がともかくも憲政の常道として行われたのは昭和初期までであり、1929年(昭和4)に始まる世界恐慌、31年の満州事変を契機に日本は全体主義・軍国主義の支配する戦時体制に向かい、政党政治は終わりを告げることになった。やがて、内閣は軍部や親軍部の官僚・政治家によって占められ、軍部が直接政治を支配することとなった。こうした状態は1945年の第二次世界大戦の終戦まで続いた。そして日本の内閣制度は、日本国憲法の制定により、明治憲法でのそれとは根本的に異なったものに変わるのである。[小松 進]
現在の内閣制度の特色
日本国憲法のもとにおける内閣制度は、明治憲法でのそれと異なり、次のような特色をもっている。その第一は、行政権を担当する最高の合議体として、国会、裁判所と並ぶ憲法上の機関となったこと、第二は、国会との関係において、超然的性格を捨て、議院内閣制をとったこと、第三は、内閣総理大臣に首長的地位を与えたこと、があげられる(憲法5章65条~75条)。[池田政章]
地位・権限
内閣は、天皇の補佐機関として天皇の「国事に関する行為」に助言と承認を与える点では、明治憲法的な性格が残されてはいるが、大きな特色として、かつて天皇の「大権」に属していた広範な事項を自らの所管とし、天皇とはまったく独立に、行政上の職務を行うこととなった。すなわち憲法第73条には、(1)法律の執行と国務の総理、(2)外交関係の処理、(3)条約の締結、(4)予算の作成とその国会への提出、(5)官吏に関する事務の掌理、(6)政令の制定、(7)恩赦の決定、など一般行政事務を行うことが規定された。「行政権は、内閣に属する」という憲法第65条の規定は、内閣が行政権の最高機関であり、自ら以上の一般行政事務を行うほか、行政各部を指揮・監督することを意味する。
 しかし、すべての行政権の独占を意味するわけではなく、行政権に属するとみるべき国家作用でも、その本質上、国会による統制になじまないと思われるものについては、その職務を行う行政機関は内閣から独立している。いわゆる行政委員会とよばれるもので、人事行政に関与する人事院、専門技術的知識が要求される公正取引委員会、対立する利害の調整を必要とする中央労働委員会など各種の例があげられる。しかし、これらを例外として、内閣は、明治憲法下の天皇の大権に属した広範な行政権を手中に収めることになって、実際には強大な権力をもつことになった。
 憲法の原則のうえでは、内閣は、国会の優越的地位のもとに置かれてはいるが、議院内閣制をとること(憲法66条~69条)によって、衆議院での多数党と手を握り、巨大な官僚機構を指導する立場にたつことになって、国政全般に関する実質上の中枢機関としての地位と権能が与えられた。しかし、実際には膨大な情報を有する官僚機構の支えがなければ政策立案がままならぬため、お互いにもちつもたれつの関係があり、ときに官僚主導と評されることがある。[池田政章]
内閣の組織と活動
内閣は、その首長である内閣総理大臣、およびその他の国務大臣(行政大臣)と、国務大臣の定数以内のもの(無任所大臣)により組織される(憲法66条1項、内閣法2条)。またその過半数は国会議員でなければならない(憲法67条1項・68条1項)。これまで文部大臣や法務大臣などが議員以外から選ばれた例があるが、この規定は議院内閣制の趣旨を徹底させ、超然・官僚内閣の弊を防止するところにねらいがあるので、憲法はむしろ全員が国会議員であることを期待していると解されている。さらにそれらは文民でなければならない(憲法66条2項)と明示している。[池田政章]
閣議
内閣は職務を行う場合、全国務大臣の会議である閣議による。閣議は必要に応じて内閣総理大臣が招集し、これを主宰し、各大臣は、案件を提出して閣議を求めることができる(内閣法4条)。閣議の議事については従来の慣習によるとされているが、重要な点として、その内容が秘密とされていること、議事が全会一致で決せられることである。閣議の秘密を守ることは、それに列席する各大臣の重大な義務で、大臣をやめてもその秘密は守らなければならないとされている。また、公の合議体における議事は過半数の賛成で決するのを通例としているが、閣議についてはとくに全会一致で決すべきものとされているのは、内閣が連帯して国会に責任を負い、統一的な行動をとる必要があるためである。ところで、全会一致主義は通常、少数者の発言に過当な重さを与え、閣内の統合力が弱くなるおそれがある。そこで憲法は、内閣総理大臣に国務大臣の罷免権を与え、この弊害を防ぐことにしている。
 閣議には、毎週の定日に開かれる定例閣議と必要に応じて招集される臨時閣議とがあり、各大臣が現実に集会してなされるのが原則であるが、便法として書類回付による「持回り閣議」も認められている。[池田政章]
内閣官房
内閣の事務を助けるために置かれる内閣の補助機関であり、その長が内閣官房長官である。[池田政章]
議院内閣制・内閣の責任
明治憲法時代の超然内閣は、現行憲法において根本的な変革が加えられ、議院内閣制になった。すなわち、国会が内閣総理大臣を指名し(憲法67条)、内閣は国会に対して連帯責任を負う(憲法66条3項)。内閣の存立が衆議院の信任にかけられ、内閣が衆議院の解散権をもつこと(憲法69条)が、それを具体的に示す。議院内閣制の採用は、内閣を国会の統制のもとに置き、したがって立法と行政の両権を国民の監視のもとに置く、という民主的要請によるものである。
 いずれにしても行政権は合議体としての内閣に統轄され、その権限行使の責任は、総理大臣および国務大臣が単独に負うものではなく、内閣が一体として国会に対して負うものとされた。この責任は法律的責任ではなく、政治的責任であると考えられるので、それゆえ内閣の責任を民主的に果たさせるためには、国会ひいては国民の健全な政治的見識に基づく評価、反応が必要であると考えられる。[池田政章]
総辞職
内閣はいつでも総辞職することができるが、他方、かならず総辞職しなければならない場合として、(1)衆議院で内閣不信任案が可決され、または内閣信任案が否決された場合(憲法69条)、(2)衆議院議員総選挙後に新国会が召集された場合(70条)、(3)内閣総理大臣が欠けたとき(70条)の3項目が定められている。総理大臣の辞職は、内閣の一体性の要求から、つねに内閣の辞職を伴うが、普通これを政変とよんでいる。内閣総理大臣に罷免はない。内閣が総辞職したときは、国会は他のすべての案件に先だって総理大臣の指名を行い(憲法67条1項)、新しい総理大臣の任命までは、従来の内閣が引き続いてその職務を行う(71条)ことが規定されている。[池田政章]
『山崎丹照著『内閣論』(1953・学陽書房)』

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世界大百科事典内の内閣の言及

【イギリス】より

… 同国の政治が長期にわたる成長の産物であることは,内閣,政党,首相など,現代政治の鍵となる語が,起源的には非難・侮辱の意で用いられていた点に端的に表れている。内閣cabinetという言葉は,国王の信任する少数の大臣・寵臣からなる非公開の国政諮問会議のあだ名として,フランス語から借用された。国王の奥の間cabinetで秘密会議が開かれたのが名称の起源であるが,公式の国政諮問機関であり内閣会議の母体でもある枢密院Privy Councilの権能を簒奪し,国王専制を担う君側の奸(かん)のたまり場になると非難,警戒された。…

【キャビネット・ペインティング】より

…ヨーロッパでマニエリスムからバロックにかけて,工芸品,宝石,古銭,動植物標本等と共に収集家の収集室(キャビネットcabinet)に飾られた小絵画。神話,風俗,寓意(アレゴリー),風景,静物等主題は多岐にわたるが,いずれも精緻で装飾的な工芸品的性格を特色とする。ドイツ出身で1600年前後にイタリアで活躍したロッテンハンマーHans Rottenhammer(1564‐1625)およびエルスハイマー,同時期のフランドルのヤン・ブリューゲルやフランケンFrans Francken II(1581‐1642)が代表的な画家である。…

【イギリス】より

…幕末以降,福沢諭吉を先頭にイギリスの政治制度の紹介は飛躍的に質を高め,富国強兵の手本としてのみならず,政治的自由主義の源泉としても,近代日本に大きな影響を与え続けた。議院内閣制に代表される政治上の制度や技能が,近代世界におけるイギリスの最も卓越した貢献だとする主張には十分な根拠がある。他面で,それはヨーロッパの伝統的階層秩序が歴史変化に適応しながら生き延びようとした努力が,好運な条件に恵まれて,最も成功を収めた特異な例でもあり,移植困難な個性を色濃く帯びている。…

【インナー・キャビネット】より

…少数有力閣僚で構成され,全閣僚の閣議に代わり国政全般の方針決定や重要諸政策の調整にあたる内閣内の内閣。連立内閣や閣僚数膨張等の事態に戦争や社会危機の圧力が加わると,少数有力閣僚に決定権が集中する傾向が強まり,これが公式化されて成立する。…

【元首】より

…明治憲法では天皇は〈国ノ元首〉(4条)として統治権を総攬したが,日本国憲法では天皇は主権者・統治権者としての地位から象徴の地位に変わり,対外面でも全権委任状・信任状,批准書その他の外交文書の認証,外国の大公使の接受など限られた国事行為を行うにとどまる。したがって,天皇を元首とみることは困難で,むしろ外交関係の処理や条約締結の実権をもつ内閣が元首的地位に近いといえるが,それも決定的ではない。元首条項を排除している国民主権の憲法の下であえて元首を求める意義自体が問われよう。…

【中国】より

…もちろん実際には天子の周辺にはおのずから顧問が生まれてくる。天子の学問上の助言者,もしくは秘書官として設けられた大学士が政治の相談にもあずかるようになり,これが〈内閣〉を形成し,少なくて2,3名,多くても6,7名程度の大学士の合議によって事実上最高決定がなされるようになる(わが国でいう内閣は六部,中国の内閣は複数の総理大臣グループのこと)。具体的にいえば,天子の決裁の下書きをひとつひとつの上奏文に貼付して天子に差し出す,天子はそれを自筆で写して書きこめばよいのである。…

【内閣】より

…首長である内閣総理大臣(首相)および他の国務大臣からなる合議体。規模は国や時期によって一定しないが,現代では20名前後が普通であり,日本の内閣法(1947公布)は定員を21名と定めている。…

【明】より

…これでは文書の処理だけで莫大な時間と精力を要し,その全部にわたって十分理解して判断するのは非常に困難である。自然,皇帝の労を省くために別のくふうが必要となり,結果として内閣制度が定着した。洪武年間から皇帝の顧問として置かれた数名の殿閣大学士が,永楽年間(1403‐24)からは機務に参与するようになって,内閣と称されたが,さらにその後は,皇帝のもとに提出される上奏文を,あらかじめ下読みして,これに対する皇帝の決裁の文案を用意するようになった。…

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