改訂新版 世界大百科事典 「首脳会談」の意味・わかりやすい解説
首脳会談 (しゅのうかいだん)
政府の最高責任者が一堂に会して行う会議。国家間外交の伝統的な形態は,A国の大使(または外相)とB国の外相(または大使)といったレベルの2ヵ国の政府代表者の間の交渉であり,または大使館員と駐在国の外務省員との間の,実務者レベルの話合いであった。首脳会談は,第1次大戦前はきわめて稀であったといってよい。第1次大戦の後始末をつけたパリ講和会議は,ウィルソン・アメリカ大統領,ロイド・ジョージ・イギリス首相,クレマンソー・フランス首相ら大国の最高責任者が集まり,対独講和条約のあり方を論議した点で,首脳会談の性格をもった。戦間期には英仏間,独伊間といった2ヵ国間の首脳会談は,交通手段の進歩もあって開催の数を増やすが,多数国間のものは少なく,1938年9月のミュンヘン会談はその例外である。日本の場合は,第2次大戦前はついに首脳会談をもつにいたらなかった。
首脳会談については,広い視野に立っての話合い,結果について高度の責任を負える者どうしの会談といった利点が指摘される一方,とかく自国国民への政治的効果を意識するスタンド・プレーになりがちであり,また素人外交としての欠陥を暴露するといった欠点もあげられる。評価はいずれにせよ,第2次大戦後首脳会談が増大し,この場で重要な外交問題が討議されるようになった。1955年7月のジュネーブでの4大国首脳会談は,最初の顕著な例であるが,日米間でも日本側が首相の交替するごとにワシントンでの首脳会談が恒例化している。日本の首相が参加する首脳会談として,制度化しつつある重要なものに,西側先進工業国家8ヵ国(ECを含む)から成る先進国首脳会議(サミット)がある。サミットは75年,フランスのランブイエで開催されて以来,毎年開かれており,先進工業国家に共通する高度な経済問題が討議されるのが通例である。
→サミット
執筆者:細谷 千博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報