ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラジャイ」の意味・わかりやすい解説
ラジャイ
Raja'i, Mohammad Ali
[没]1981.8.30. テヘラン
イランの政治家。首相(1980~81),大統領(1981)。16歳でイラン空軍に入隊,のちにテヘラン師範学校で教職課程を修めた。1960年にイラン解放運動に加わり,政治活動を理由にムハンマド・レザー・シャー(パーレビ)の政権下で 3回逮捕された。イスラム教師協会中央委員会の委員となり,1979年にイラン革命が起こると教育大臣に就任。革命指導者ホメイニの主要な支持母体で,聖職者が大半を占めるイスラム共和党 IRPの指導的党員となった。1980年8月,マジュリス(議会)により第2首相に選出されたが,ラジャイを第2首相として不適格と考える初代大統領アボルハサン・バニサドルとは組閣などをめぐって対立した。1981年6月にバニサドルが解任されたのち大統領に就任,モハマド・ジャバド・バーホナルが首相の任についた。IRPの支配力増大は暴力的な反体制運動を誘発し,1981年8月30日,ラジャイ,バーホナル,および IPR党員と政府当局者数人が爆弾テロによって暗殺された。実行犯は,イスラムの教義とマルクス主義を融合させた反ホメイニ体制軍事組織ムジャーヒディーン・ハルク(イスラム人民戦士機構)の工作員だった。
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