近代ペルシア語で〈支配者〉〈王〉を意味する語(古代ペルシア語xshāyathiya,パルティア・中世ペルシア語shāh)。アケメネス朝およびササン朝の皇帝は,〈王中の王(シャーハーンシャーshāhānshāh)〉の称号をもち,彼らは神から帝国の統治権を授かった絶対専制君主であった。イスラム期に入ると,8世紀半の間はイランでもシャーの称号はほとんど用いられず(ブワイフ朝の君主はシャーハーンシャーの称号を用いた),アミール,スルタン,マリクの称号が用いられた。サファビー朝以後,ザンド朝を除いてパフラビー朝までイランの諸王朝の君主はシャーの称号を用いた。預言者ムハンマドの女婿であり,シーア派初代のイマームであるアリーの子孫と信じられていたサファビー朝の君主は,聖俗両権を併せもつ絶対君主であった。シャーの称号はインドのムガル帝国でも用いられ,オスマン帝国のスルタンにもパーディシャーpādişāh(守護王)というペルシア語起源の称号が与えられている。
執筆者:羽田 亨一
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…イギリスおよびイギリスの旧植民地の多くに見られる地理上および地方行政の単位。1066年のノルマン人によるイングランド征服以前から存在していた最大の地方行政単位であるシャイア(シャー)shireが,征服後ノルマンディ風にカウンティと呼ばれるようになったことから,この名称が用いられ出す。しかしイングランドでは,機構等に変化は見られはするが,その主たる役人であるシェリフを含め,アングロ・サクソン時代以来,地域・自治的共同体としての一体性等に一貫性を持ち続けていた。…
※「シヤー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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