ルネクレール(読み)るねくれーる

20世紀西洋人名事典 「ルネクレール」の解説

ルネ クレール
René Clair


1898.11.11 - 1981.3.14
フランスの映画監督。
アカデミー・フランセーズ会員。
パリ生まれ。
本名René Lucien〉 ルネ・リュシアン〈Chomette ショメット。
ジャーナリスト、俳優を経て1923年「眠るパリ」で監督としてデビュー。’30年「巴里の屋根の下」、’32年「巴里祭」で国際的名声を獲得する。その後製作資金を求めて英国ハリウッドで創作活動をし、第二次大戦後帰国して’52年「夜ごとの美女」、’57年「リラの門」などの名作を発表。’60年映画人初のアカデミー・フランセーズ会員となる。自伝的映画評論集「映画をわれらに」のほか、詩、シャンソン作詞戯曲、小説などを残している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ルネクレール」の解説

ルネ クレール

生年月日:1898年11月11日
フランスの映画監督
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のルネクレールの言及

【クレール】より

…フランスの映画作家。映像の実験と詩情と風刺精神が混然一体となった作風で知られ,特異な喜劇作家として映画史に位置を占める。パリに生まれる。本名ルネ・リュシアン・ショメットRené Lucien Chomette。《純粋映画の5分間》(1923),《光と速度の戯れ》(1925)などのアバンギャルド映画作家アンリ・ショメット(1891‐1941)は実兄。短編《眠るパリ》(1923)で監督としてデビュー。次いでダダイズム的雰囲気の濃厚な《幕間》(1924)では,マルセル・デュシャン,フランシス・ピカビア,マン・レイ,マルセル・アシャール,エリック・サティらの協力を得て,純粋映画cinéma purと呼ばれた映像の実験の成果を見せた前衛的作品をつくり上げるが,真に国際的な名声を獲得したのはそのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)のヒットによってであり,続く《ル・ミリオン》(1931),《巴里祭》(1932)などで視覚的なギャグと音響効果からくる独特の喜劇的世界を築いて注目された。…

※「ルネクレール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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