巴里祭(読み)ぱりさい(その他表記)Quatorze Juillet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「巴里祭」の意味・わかりやすい解説

巴里祭
ぱりさい
Quatorze Juillet

フランス映画。1932年ルネ・クレール監督作品。翌年日本公開。原題は「7月14日」。パリ情緒豊かな下町を舞台に、革命記念日の祭り気分に沸き立つ街の情景を描く。美しい花売り娘アンナ(アナベラ)と若いタクシー運転手ジャン(ジョルジュ・リゴー)の恋を中心に、陽気な商人や気むずかしい老人やわんぱくな悪童たちなどが背景を彩る。ちょっとした誤解から仲たがいする2人の恋物語も軽いが、周囲の人物も添景的で、全体にスケッチ映画といった趣(おもむき)は、同じクレールのトーキー第一作『巴里の屋根の下』と似通っている。祭りの前夜から当夜にかけてのパリの街は、提灯(ちょうちん)や万国旗に飾られて、ときにはにわか雨まで加わって情緒を盛り上げる。

[登川直樹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の巴里祭の言及

【映画美術】より

…〈プロダクション・デザイナー〉の呼称はメンジーズに始まる。これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。メールソンの弟子のトローネルAlexandre Trauner(1906‐93)の仕事は《天井桟敷の人々》(1944)を代表とするマルセル・カルネ=ジャック・プレベール作品に結実し,〈詩的レアリスム〉の名のもとにフランス映画の黄金時代を築くとともに,大戦後はハリウッドにも招かれ,ビリー・ワイルダー監督作品(《アパートの鍵貸します》(1960),パリの中央市場を再現した《あなただけ今晩は》(1963),等々)などを介して,アメリカ映画における美術監督の概念を変容せしめた。…

【クレール】より

…短編《眠るパリ》(1923)で監督としてデビュー。次いでダダイズム的雰囲気の濃厚な《幕間》(1924)では,マルセル・デュシャン,フランシス・ピカビア,マン・レイ,マルセル・アシャール,エリック・サティらの協力を得て,純粋映画cinéma purと呼ばれた映像の実験の成果を見せた前衛的作品をつくり上げるが,真に国際的な名声を獲得したのはそのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)のヒットによってであり,続く《ル・ミリオン》(1931),《巴里祭》(1932)などで視覚的なギャグと音響効果からくる独特の喜劇的世界を築いて注目された。《自由を我等に》(1931)や《最後の億万長者》(1934)の〈ギャグによる文明批評〉(例えば大工場の流れ作業=ベルトコンベヤシステムの人間性疎外のイメージ,ニワトリで支払うと卵でおつりがくるという物々交換の原始経済国家で一文なしの〈億万長者〉が独裁をふるう等々)はチャップリン(《モダン・タイムス》1936,《チャップリンの独裁者》1940)に影響を与えたとさえいわれた。…

※「巴里祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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