内閣総理大臣(読み)ナイカクソウリダイジン

デジタル大辞泉 「内閣総理大臣」の意味・読み・例文・類語

ないかく‐そうりだいじん【内閣総理大臣】

内閣の首長である国務大臣国会議員の中から国会の議決によって指名され、天皇により任命される。内閣を組織し、閣議の主宰、行政各部の指揮・監督を行うほか、内閣府の長として所管の事務を担当する。首相。総理大臣。総理。
[補説]歴代内閣総理大臣一覧
歴代氏名在職期間
1伊藤博文(第1次)明治18年12月22日~21年4月30日
1885年12月22日~1888年4月30日
2黒田清隆明治21年4月30日~22年10月25日
1888年4月30日~1889年10月25日
(兼任)三条実美明治22年10月25日~12月24日
1889年10月25日~12月24日
3山県有朋(第1次)明治22年12月24日~24年5月6日
1889年12月24日~1891年5月6日
4松方正義(第1次)明治24年5月6日~25年8月8日
1891年5月6日~1892年8月8日
5伊藤博文(第2次)明治25年8月8日~29年8月31日
1892年8月8日~1896年8月31日
(臨時兼任)黒田清隆明治29年8月31日~9月18日
1896年8月31日~9月18日
6松方正義(第2次)明治29年9月18日~31年1月12日
1896年9月18日~1898年1月12日
7伊藤博文(第3次)明治31年1月12日~6月30日
1898年1月12日~6月30日
8大隈重信(第1次)明治31年6月30日~11月8日
1898年6月30日~11月8日
9山県有朋(第2次)明治31年11月8日~33年10月19日
1898年11月8日~1900年10月19日
10伊藤博文(第4次)明治33年10月19日~34年5月10日
1900年10月19日~1901年5月10日
(臨時兼任)西園寺公望明治34年5月10日~6月2日
1901年5月10日~6月2日
11桂太郎(第1次)明治34年6月2日~39年1月7日
1901年6月2日~1906年1月7日
12西園寺公望(第1次)明治39年1月7日~41年7月14日
1906年1月7日~1908年7月14日
13桂太郎(第2次)明治41年7月14日~44年8月30日
1908年7月14日~1911年8月30日
14西園寺公望(第2次)明治44年8月30日~大正元年12月21日
1911年8月30日~1912年12月21日
15桂太郎(第3次)大正元年12月21日~2年2月20日
1912年12月21日~1913年2月20日
16山本権兵衛(第1次)大正2年2月20日~3年4月16日
1913年2月20日~1914年4月16日
17大隈重信(第2次)大正3年4月16日~5年10月9日
1914年4月16日~1916年10月9日
18寺内正毅大正5年10月9日~7年9月29日
1916年10月9日~1918年9月29日
19原敬大正7年9月29日~10年11月4日
1918年9月29日~1921年11月4日
(臨時兼任)内田康哉大正10年11月4日~11月13日
1921年11月4日~11月13日
20高橋是清大正10年11月13日~11年6月12日
1921年11月13日~1922年6月12日
21加藤友三郎大正11年6月12日~12年8月24日
1922年6月12日~1923年8月24日
(臨時兼任)内田康哉大正12年8月25日~9月2日
1923年8月25日~9月2日
22山本権兵衛(第2次)大正12年9月2日~13年1月7日
1923年9月2日~1924年1月7日
23清浦奎吾大正13年1月7日~6月11日
1924年1月7日~6月11日
24加藤高明大正13年6月11日~15年1月28日
1924年6月11日~1926年1月28日
(臨時兼任)若槻礼次郎大正15年1月28日~1月30日
1926年1月28日~1月30日
25若槻礼次郎(第1次)大正15年1月30日~昭和2年4月20日
1926年1月30日~1927年4月20日
26田中義一昭和2年4月20日~4年7月2日
1927年4月20日~1929年7月2日
27浜口雄幸昭和4年7月2日~6年4月14日
1929年7月2日~1931年4月14日
28若槻礼次郎(第2次)昭和6年4月14日~12月13日
1931年4月14日~12月13日
29犬養毅昭和6年12月13日~7年5月16日
1931年12月13日~1932年5月16日
(臨時兼任)高橋是清昭和7年5月16日~5月26日
1932年5月16日~5月26日
30斎藤実昭和7年5月26日~9年7月8日
1932年5月26日~1934年7月8日
31岡田啓介昭和9年7月8日~11年3月9日
1934年7月8日~1936年3月9日
32広田弘毅昭和11年3月9日~12年2月2日
1936年3月9日~1937年2月2日
33林銑十郎昭和12年2月2日~6月4日
1937年2月2日~6月4日
34近衛文麿(第1次)昭和12年6月4日~14年1月5日
1937年6月4日~1939年1月5日
35平沼騏一郎昭和14年1月5日~8月30日
1939年1月5日~8月30日
36阿部信行昭和14年8月30日~15年1月16日
1939年8月30日~1940年1月16日
37米内光政昭和15年1月16日~7月22日
1940年1月16日~7月22日
38近衛文麿(第2次)昭和15年7月22日~16年7月18日
1940年7月22日~1941年7月18日
39近衛文麿(第3次)昭和16年7月18日~10月18日
1941年7月18日~10月18日
40東条英機昭和16年10月18日~19年7月22日
1941年10月18日~1944年7月22日
41小磯国昭昭和19年7月22日~20年4月7日
1944年7月22日~1945年4月7日
42鈴木貫太郎昭和20年4月7日~8月17日
1945年4月7日~8月17日
43東久邇稔彦昭和20年8月17日~10月9日
1945年8月17日~10月9日
44幣原喜重郎昭和20年10月9日~21年5月22日
1945年10月9日~1946年5月22日
45吉田茂(第1次)昭和21年5月22日~22年5月24日
1946年5月22日~1947年5月24日
46片山哲昭和22年5月24日~23年3月10日
1947年5月24日~1948年3月10日
47芦田均昭和23年3月10日~10月15日
1948年3月10日~10月15日
48吉田茂(第2次)昭和23年10月15日~24年2月16日
1948年10月15日~1949年2月16日
49吉田茂(第3次)昭和24年2月16日~27年10月30日
1949年2月16日~1952年10月30日
50吉田茂(第4次)昭和27年10月30日~28年5月21日
1952年10月30日~1953年5月21日
51吉田茂(第5次)昭和28年5月21日~29年12月10日
1953年5月21日~1954年12月10日
52鳩山一郎(第1次)昭和29年12月10日~30年3月19日
1954年12月10日~1955年3月19日
53鳩山一郎(第2次)昭和30年3月19日~11月22日
1955年3月19日~11月22日
54鳩山一郎(第3次)昭和30年11月22日~31年12月23日
1955年11月22日~1956年12月23日
55石橋湛山昭和31年12月23日~32年2月25日
1956年12月23日~1957年2月25日
56岸信介(第1次)昭和32年2月25日~33年6月12日
1957年2月25日~1958年6月12日
57岸信介(第2次)昭和33年6月12日~35年7月19日
1958年6月12日~1960年7月19日
58池田勇人(第1次)昭和35年7月19日~12月8日
1960年7月19日~12月8日
59池田勇人(第2次)昭和35年12月8日~38年12月9日
1960年12月8日~1963年12月9日
60池田勇人(第3次)昭和38年12月9日~39年11月9日
1963年12月9日~1964年11月9日
61佐藤栄作(第1次)昭和39年11月9日~42年2月17日
1964年11月9日~1967年2月17日
62佐藤栄作(第2次)昭和42年2月17日~45年1月14日
1967年2月17日~1970年1月14日
63佐藤栄作(第3次)昭和45年1月14日~47年7月7日
1970年1月14日~1972年7月7日
64田中角栄(第1次)昭和47年7月7日~12月22日
1972年7月7日~12月22日
65田中角栄(第2次)昭和47年12月22日~49年12月9日
1972年12月22日~1974年12月9日
66三木武夫昭和49年12月9日~51年12月24日
1974年12月9日~1976年12月24日
67福田赳夫昭和51年12月24日~53年12月7日
1976年12月24日~1978年12月7日
68大平正芳(第1次)昭和53年12月7日~54年11月9日
1978年12月7日~1979年11月9日
69大平正芳(第2次)昭和54年11月9日~55年6月12日
1979年11月9日~1980年6月12日
(臨時代理)伊東正義昭和55年6月12日~7月17日
1980年6月12日~7月17日
70鈴木善幸昭和55年7月17日~57年11月27日
1980年7月17日~1982年11月27日
71中曽根康弘(第1次)昭和57年11月27日~58年12月27日
1982年11月27日~1983年12月27日
72中曽根康弘(第2次)昭和58年12月27日~61年7月22日
1983年12月27日~1986年7月22日
73中曽根康弘(第3次)昭和61年7月22日~62年11月6日
1986年7月22日~1987年11月6日
74竹下登昭和62年11月6日~平成元年6月3日
1987年11月6日~1989年6月3日
75宇野宗佑平成元年6月3日~8月10日
1989年6月3日~8月10日
76海部俊樹(第1次)平成元年8月10日~2年2月28日
1989年8月10日~1990年2月28日
77海部俊樹(第2次)平成2年2月28日~3年11月5日
1990年2月28日~1991年11月5日
78宮沢喜一平成3年11月5日~5年8月9日
1991年11月5日~1993年8月9日
79細川護煕平成5年8月9日~6年4月28日
1993年8月9日~1994年4月28日
80羽田孜平成6年4月28日~6月30日
1994年4月28日~6月30日
81村山富市平成6年6月30日~8年1月11日
1994年6月30日~1996年1月11日
82橋本龍太郎(第1次)平成8年1月11日~11月7日
1996年1月11日~11月7日
83橋本龍太郎(第2次)平成8年11月7日~10年7月30日
1996年11月7日~1998年7月30日
84小渕恵三平成10年7月30日~12年4月5日
1998年7月30日~2000年4月5日
85森喜朗(第1次)平成12年4月5日~7月4日
2000年4月5日~7月4日
86森喜朗(第2次)平成12年7月4日~13年4月26日
2000年7月4日~2001年4月26日
87小泉純一郎(第1次)平成13年4月26日~15年11月19日
2001年4月26日~2003年11月19日
88小泉純一郎(第2次)平成15年11月19日~17年9月21日
2003年11月19日~2005年9月21日
89小泉純一郎(第3次)平成17年9月21日~18年9月26日
2005年9月21日~2006年9月26日
90安倍晋三(第1次)平成18年9月26日~19年9月26日
2006年9月26日~2007年9月26日
91福田康夫平成19年9月26日~20年9月24日
2007年9月26日~2008年9月24日
92麻生太郎平成20年9月24日~21年9月16日
2008年9月24日~2009年9月16日
93鳩山由紀夫平成21年9月16日~22年6月8日
2009年9月16日~2010年6月8日
94菅直人平成22年6月8日~23年9月2日
2010年6月8日~2011年9月2日
95野田佳彦平成23年9月2日~24年12月26日
2011年9月2日~2012年12月26日
96安倍晋三(第2次)平成24年12月26日~26年12月24日
2012年12月26日~2014年12月24日
97安倍晋三(第3次)平成26年12月24日~29年11月1日
2014年12月24日~2017年11月1日
98安倍晋三(第4次)平成29年11月1日~令和2年9月16日
2017年11月1日~2020年9月16日
99菅義偉令和2年9月16日~3年10月4日
2020年9月16日~2021年10月4日
100岸田文雄令和3年10月4日~11月10日
2021年10月4日~11月10日
101岸田文雄(第2次)
令和3年11月10日~
2021年11月10日~

[類語]総理大臣総理首相宰相閣僚大臣国務大臣内閣官房長官副大臣

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精選版 日本国語大辞典 「内閣総理大臣」の意味・読み・例文・類語

ないかく‐そうりだいじん【内閣総理大臣】

  1. 〘 名詞 〙 内閣の首長としての国務大臣。現在は、国会議員のなかから、国会の議決によって指名され、天皇により任命される。他の国務大臣を任免する権限をもち、また、内閣府の長として所管の行政事務を担当するほか、閣議を主宰し、行政各部を指揮監督する。総理。首相。宰相。
    1. [初出の実例]「伊藤内閣総理大臣を始め今度新任の各大臣」(出典:朝野新聞‐明治一八年(1885)一二月二四日)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内閣総理大臣」の意味・わかりやすい解説

内閣総理大臣
ないかくそうりだいじん

内閣の首長であると同時に内閣府の長たる大臣。総理大臣または首相と略称される。

[小松 進]

地位

日本で初めて内閣総理大臣が置かれたのは、1885年(明治18)12月である。それまでの太政官制(だじょうかんせい)を廃止してヨーロッパ先進諸国に倣って内閣制度の採用を決め、伊藤博文(ひろぶみ)が初代の内閣総理大臣となった。当時の内閣総理大臣の地位は、「内閣職権」によれば、「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承(うけ)テ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」とあり、規定のうえではかなり強力な権限を有するものであったが、実際には薩長(さっちょう)の対立均衡のもとにある内閣においてこれを十分発揮することはできなかった。

 1889年(明治22)発布の旧憲法では「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其(そ)ノ責ニ任ス」(55条)と規定するのみで、内閣総理大臣は憲法上の地位とはされなかった。その地位は「内閣官制」(明治22年勅令135号)に基づくもので、これによれば、内閣総理大臣は「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承(う)ケテ行政各部ノ統一ヲ保持」する点で、他の国務大臣と区別されるにすぎず、各大臣は憲法上対等の地位にあり、ただ総理大臣は他の国務大臣に対して同輩中の首席という関係にあったのである。実際にも総理大臣は、首班として閣議の議長となり、その事務を指揮監督し、外に対して内閣を代表するものであったが、それ以上のものではなく、内閣の統一性・一体性を確保する原理は天皇の大権のうちにあったのである。

 現行憲法のもとでの内閣総理大臣の地位は著しく強化された。天皇大権が否定され、主権在民・権力分立制を基本原理とする憲法のもとで、内閣は行政権を担当する最高機関であり、その内閣において総理大臣は首長として他の国務大臣に優越する地位にたち、行政権の主体たる内閣の中核とされている。また、現行憲法は議院内閣制をとっているが、一方では行政権の優位といわれる現象があり、他方、議会では政党政治が行われているため、議会における第一党の党首が内閣総理大臣の指名を受けるのが通常であり、総理大臣は単に行政権の首長たるにとどまらず、立法権の行使についても大きな力を有しているのが現状である。

[小松 進]

選任

国会議員のなかから国会の議決により指名され、天皇によって任命される(憲法67条・6条)。この任命は形式的なものであることはいうまでもない。国会の指名はすべての案件に先だって行われる。内閣総理大臣の資格は国会議員であること(衆議院議員に限らないが、参議院議員が指名された例はない)、また、他の国務大臣と同様に文民でなければならない。

[小松 進]

権限

内閣の首長という地位にあり、各種の権能が付与されている。まず、内閣の首長として、閣内の統一性と統制を保つため国務大臣の任免権(憲法68条)と国務大臣の訴追に同意を与える権限(憲法75条)があり、また、閣議を主宰し、主任大臣間の権限の疑義を裁定し、行政各部の処分・命令を中止せしめる権能を有する。次に、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務および外交関係について国会に報告し、行政各部を指揮監督する権能が与えられ(憲法72条)、また、すべての法律・政令にはその連署を要することとされている(憲法74条)。さらに、行政官庁として、内閣府長官となって、内閣府令を発し、職員の服務を統督する。なお、自衛隊法第7条により内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有するものとされている。

[小松 進]

諸外国の内閣総理大臣

イギリス

近代内閣制の母国イギリスにおいては18世紀前半までは国王が閣議を主宰し、いわば国王が首相でもあった。しかし、1717年以降国王が内閣の会議に出席しなくなり、内閣に対する王権の支配が徐々に弱まるにつれて、国政における内閣の役割も増大し、首相のポストもしだいに明確に認識されるようになった。18世紀前半に長く政府の中枢にいたウォルポールが最初の近代的首相とされることが多いが、自らは首相prime ministerの呼称を否認したということである。prime ministerの肩書が公文書に登場するのは19世紀後半にディズレーリが署名に用いたのが最初である。19世紀の首相はなお「同輩中の首席first among equals」という面を残していたが、3次にわたる選挙法改正の過程を通じて、選挙民の増加とそれに刺激された政党制の発達、国家行政の膨張などの事情から、19世紀末以降、政党と国家組織の頂点にたつ首相の権能は著しく強化されてきた。この傾向は第一次および第二次の世界大戦を通じて、戦争遂行のための政治的指導力の要請から、さらに強められてきた。現代のイギリスの政治を評して、内閣政治から総理大臣政治へ移行したとする見解も主張されるほど今日のイギリスの首相は高い地位と強い権能をもっている。

[小松 進]

フランス・ドイツ

イギリス型の君主制のもとでは、行政権が内閣と首相にゆだねられることにさして問題はないが、大統領制と議院内閣制とを併用している国では行政権の配分をめぐって深刻な問題に遭遇することが多い。第三・第四共和政フランスにおいて政局の不安定と短命内閣が続いたのは、小党分立と並んで「弱い」首相にもその一因があったと指摘されている。現在の第五共和政は、議員らの構成する選挙人団の選出する大統領に重点を置きつつ、首相についても憲法上種々の権能を規定する折衷的解決を目ざして出発したが、1962年、大統領ドゴールは憲法を改正して大統領選出を直接国民投票制にかえたので、大統領への権力集中傾向が著しくなり、首相の地位と権能は低下した。第二次世界大戦後の西ドイツ憲法では、ワイマール体制に対する反省から大統領の権限をイギリス国王なみに削減し、政府と連邦首相の地位の強化を図った。アデナウアー以降の歴代首相の多くは強大な権能を背景に指導力を発揮し、その政治は宰相民主主義といわれるほど首相を中心とするものとなった。

[小松 進]

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改訂新版 世界大百科事典 「内閣総理大臣」の意味・わかりやすい解説

内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん)

内閣の首長であり同時に総理府の長である国務大臣。首相,総理,宰相等と通称される(以下首相とする)。日本国憲法では,国会議員の中から国会の議決で指名され,天皇に任命されると規定している(67,6条)。他の国務大臣を単独で任免し,閣議を主宰し,行政各部を指揮監督し,それらの処分または命令を中止させるなど強い権限をもつ(憲法68,72条,内閣法8条等)。なお,明治憲法下では内閣総理大臣は国務大臣を任免する権限をもっていなかったので,その地位は日本国憲法下におけるよりはるかに弱かったといえよう。首相の辞職は自動的に内閣総辞職となるため,内閣不信任決議のできる衆議院を除けば,首相のみが内閣存続を決める権限をもっている。

太政官制期に太政大臣が非公式にプライム・ミニスターと呼ばれた例はあるが,公式の〈内閣総理大臣〉は1885年の内閣制発足時に始まる。同時に発布された〈内閣職権〉は太政大臣やプロシアの帝国宰相Reichskanzlerに比肩しうる強い国政統制権を首相に与えた。しかし89年の〈内閣官制〉によって行政各部に対する〈統督〉権がなくなり,首相権限は削減された。天皇輔弼(ほひつ)についても,首相は原理上他の国務大臣と平等で,輔弼手続上の優位をもつにすぎないと理解された。これが東条英機内閣期の〈戦時行政職権特例〉(1943公布)等による部分的変更を除き,戦後までの首相権限の正統解釈であった。もっとも明治憲法体制も天皇に能動的統治者の役割を強く期待していたわけではなく,首相が国政統合の最も有力な中心であった。とくに初期の首相像を形成した伊藤博文,山県有朋ら中・下級士族出身の政治家は,藩閥競合体制に伴う制約に悩んだ半面,藩閥の組織横断的な結束力や指導者に共有される経験や国家目標の強さに支えられ,強い指導性を発揮することもできた。

 明治末期以降藩閥体制の弛緩につれ政党交替を軸とする〈憲政の常道〉論が強まると,主要政党の党首であることが首相への最有力の条件となっていく。しかし天皇の諮問に応じ後継首相の〈奏薦〉を行う元老・重臣は,これのみを首相適格の条件としたわけではない。藩閥・公家出身者以外から初めて首相となり,政党内閣を率いて〈平民宰相〉と呼ばれた原敬の成功も,政友会党首であることに加え,元老や藩閥系官僚の信任や同意に強く依存していた。昭和に入り元老・重臣の弱体化と軍部や官僚の疑似政党化が進むにつれ,首相の地位も政党と同じく著しく弱く不安定となる。戦時体制の下で東条首相は首相権限の強化を強引に推進するが,その東条自身結局は一閣僚の抵抗を排除できず,辞職に追い込まれた。ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議で,対立する主張の決裁を天皇にゆだね,みずからは沈黙によって最善の〈指導性〉を発揮した鈴木貫太郎首相は,天皇制下における首相の極点を体現している。戦後は象徴天皇制の下で議院内閣制が明示の憲法原則となり,首相をとりまく制度上の障害は消滅した。

 1955年の保守合同以降自由民主党がほぼ一貫して衆議院過半数を占める安定与党に定着したことも,党首を兼ねる首相を一段と強力にした。しかし明治以来の省庁縄張り意識の根強さは派閥連合体の性格が濃い自民党の特質と連動して,首相の指導力を強く拘束しがちである。深刻な危機に対する首相の国政統合能力は今後も試練に直面することになろう。

近代内閣制の母国イギリスでは,17世紀後半から18世紀初頭にかけ国王が臨席して閣議を主宰することが多く,現代アメリカの大統領と似て,国王がいわばみずから首相でもあった。元来首相prime ministerという語はフランスから借用され,当初は国王の寵愛をたてに大権を私議する臣下という非難の意味で用いられることが多かった。18世紀前半長く政府中枢にいたR.ウォルポールは最初の近代的首相とされる場合が多いが,その成功は議会の支持に劣らず国王や宮廷の支援に負う面が強く,みずからは首相の呼称を公式に否認した。18世紀には呼称も一定せず,だれがどのような意味で〈首相〉なのか当事者にすら不明確な例が少なくない。それが内閣を統率し,国王に代わって政府の中心的な地位として定着するのは1783年から約20年首相の座にあったW.ピット(小)以降であり,この肩書が公文書に登場するのはB.ディズレーリが外交文書の署名に用いた1878年である。19世紀の首相はなお有力閣僚の一員という面を一部にとどめていたが,世紀末以降大衆政党組織の浸透,国家行政の膨張,軍事・外交体制の変化等の事情から,党と国家両組織の頂点に立つ首相の権能は著しく強まった。現代ではアメリカ大統領と比較し,内閣制cabinet governmentから首相統治制prime ministerial governmentへの移行を主張する見解すら一部に出るほど強力である。他方で議会や与党との関係が首相の場合ほど緊密でない大統領の場合,議会の動向がしばしばその指導力発揮を制約するという問題をかかえることになる。

国家元首が世襲のイギリス型では,行政権の内閣と首相への集中は,大衆民主制との間で深刻な葛藤が回避されやすい。しかし大統領制下で議院内閣制が併用される場合,首相の地位は複雑となる。これが小党分立等と並んでワイマール・ドイツや第三・第四共和政フランスが不安定で短命な内閣と指導力の弱い首相に悩む一因となった。第2次大戦後の西ドイツ憲法は大統領権限を事実上イギリス国王の水準まで削減し,連邦首相Bundeskanzlerと国務大臣からなる政府を行政の中心機関とすることで解決を図った。アデナウアー以降の歴代首相はイギリス首相と同様な権能を享受し,ビスマルク以来の大宰相的伝統を受け継いだ指導力の発揮に概して成功してきた。フランスの場合現行の第五共和政は中央・地方の議員からなる選挙人団の選出する大統領に重点を置きながらも,当初は首相についても比較的詳細な権限規定を置くという中間的解決を目ざして出発した。しかしド・ゴール大統領が大統領選出を直接国民投票制に変えたこともあって,国政の中心は大統領に移り,首相の存在と権能はあまり目だたないのが現状である。
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百科事典マイペディア 「内閣総理大臣」の意味・わかりやすい解説

内閣総理大臣【ないかくそうりだいじん】

行政権の主体たる内閣の首長。総理大臣,首相と通称。文民でなければならず,国会議員の中から国会の指名で選ばれた者を天皇が任命する。その権限はきわめて大きい。内閣を代表して国会に議案を提出し,国務・外交関係を報告。閣議を主宰し,行政各部を指揮監督し,国務大臣の任免権をもつ。その他国防会議の議長であり,自衛隊の最高指揮監督権をもち,非常に際しては警察庁長官を直接指揮下に置いて警察を掌握し,また皇室会議の議長を兼ねる。その地位,権限については日本国憲法内閣法等が規定。明治憲法時代には〈同輩者中の首席〉にすぎず,国務大臣の任免権はなかった。
→関連項目行政大臣行政長官緊急事態原子力委員会国民栄誉賞国務大臣国会指名投票衆議院重臣総理府大臣副総理文民臨時首相代理

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「内閣総理大臣」の解説

内閣総理大臣
ないかくそうりだいじん

内閣の首班として国家の行政を担当する最高の官職。略称は総理・首相。1885年(明治18)内閣制度の確立の際,各大臣を統轄する官職として設置。初代総理は伊藤博文。同年制定の内閣職権ではその権限は「大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督」するものとされたが,89年の内閣官制では若干弱められた。大日本帝国憲法では総理大臣の任免は天皇の大権であったが,実際には元老あるいは重臣の推薦により任命されるのがふつうであった。総理大臣の権限は統帥権には及ばず,軍部を十分に掌握できなかった。1947年(昭和22)日本国憲法の施行により,総理大臣は国会議員から国会により指名され,内閣の首長として大臣の任免権をもつなど権限が強化された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内閣総理大臣」の意味・わかりやすい解説

内閣総理大臣
ないかくそうりだいじん
prime minister

内閣の首長で (憲法 66条1項) ,国会議員のなかから国会の議決で指名され (67条1項) ,天皇によって任命される (6条1項) 。首相ともいう。国務大臣の任免権を有し (68条) ,内閣を代表して議案を国会に提出し,一般国務および外交関係について国会に報告し,また行政各部を指揮監督する (72条) 。内閣の職権の行使は閣議によるが,内閣総理大臣が閣議を主宰する (内閣法4条2項) 。

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世界大百科事典(旧版)内の内閣総理大臣の言及

【国務大臣】より

…日本国憲法における内閣の構成員(閣僚)。広義では内閣総理大臣を含み(憲法99条など),狭義では内閣総理大臣を除いた他の構成員を指す(68条など)。狭義の国務大臣は内閣総理大臣によって任命され,内閣総理大臣によって任意に罷免されうる。…

【国会】より

… 衆議院と参議院とは,権限が対等でなく,衆議院が優越している。憲法で衆議院の議決を優位させているのは,法律案の議決(59条),予算の議決(60条),条約の承認(61条),内閣総理大臣の指名(67条)であるが,これは,参議院に衆議院の行過ぎを阻止するのではなく,再考を促す機能を期待しているからであり,究極的には,国民本位の慎重な国会の意思決定を保障することにねらいがある。 議院の審議は委員会中心に行われる(議会委員会制)。…

※「内閣総理大臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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