現代外国人名録2016 「ロスペロー」の解説
ロス ペロー
Ross Perot
- 職業・肩書
- 実業家,政治家 ペロー・グループ代表,ペロー・システムズ創業者,エレクトロニクス・データ・システムズ(EDS)創業者 元米国改革党代表
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1930年6月27日
- 出生地
- テキサス州テキサカーナ
- 本名
- Perot,Henry Ross
- 学歴
- 米国海軍兵学校〔1953年〕卒
- 受賞
- 米国防最高栄誉賞,チャーチル賞
- 経歴
- 海軍勤務の後1957年IBMに入社。’62年独立してエレクトロニック・データ・システムズ(EDS)を創業、’82〜86年会長兼CEO(最高経営責任者)。保険会社や医療機関、州政府機関などのデータプロセシングで成功する。’84年同社をゼネラル・モーターズに24億ドルで売却、一躍全米五指に入る大富豪になった。ゼネラル・モーターズ取締役となるが’86年同社批判で経営陣と対立、取締役を辞任。同年よりペローグループ(ダラス)代表。’88年6月ワシントンD.C.にペロー・システムズを創業、会長に就任。2009年退任。一方、1983年にテキサス州知事に請われて公教育改革特別委員長に就任、全米に名高い“ノーパス・ノープレー”原則を答申、州法として成立させた。また、’79年イラン革命で人質になったEDS社員を救出するためボーイングのジェット機とコマンド隊を雇って自らテヘランに乗り込んで無事救出したり、米国銀行史上最大の倒産となったテキサス州最大の銀行ファースト・リパブリック銀行の救済劇などで話題となる。ペロー財団を通じた慈善団体、公共機関などへの寄付は1億ドルを超える。世界で3人目、民間人として初の英チャーチル賞、米国防最高賞など多くの賞を受賞。’92年大統領選に無所属で出馬し、一時は“ペロー旋風”を巻き起こしたが敗退。’95年改革党を創設、’95〜99年代表。’96年8月改革党党大会で大統領候補に指名されるが、11月の大統領選で敗退。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報