ヲタルナイ場所(読み)をたるないばしよ

日本歴史地名大系 「ヲタルナイ場所」の解説

ヲタルナイ場所
をたるないばしよ

ヲコバチ川からヲタルナイ川にわたる一帯を中心に設定された場所。ヲタルナイ持場ともいう。その範囲は「タカシマ境ヨリ石狩境迄ノ里数四里三十二丁」で(玉虫「入北記」安政四年閏五月二二日条)、西蝦夷地場所回浦日記(天明六年、大石逸平)および「西蝦夷地場所地名等控」に惣名ヲタルナイとしてヲクバチ、カムイコタン、クッタルイシ、ハルイシ、ヌプカ、レブンヅカ、カチナイ、ヲタスツフレシマ、ヲタル内、レブントマリが記される。天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分の「ヲタルナイ持場」のうちとしてクッタルウシ、ノプカがみえる。「地名考并里程記」に「昔時、此所を最初切開き、夷人交易をいたし候得共、産物津出し、漁業方等不弁利故、今のクッタルシに運上屋を移すといへとも、場所名目は矢張、ヲタルナイといふ」とある。

支配所持名前帳(元禄一三年)では氏家唯右衛門の支配とする。享保十二年所附により当時の場所はヲタルナイ川とその周辺に限られていたらしい。「蝦夷商賈聞書」に「尾樽内をたるないト申地氏家善次右衛門殿御預リ、出物鯡数子・串貝、荷積り三百石(中略)運上金下直」とある。またイシカリから一三里の浜と記されるため、当場所の運上家がクッタルウシ(現入船付近)に移ったという説もあるが(小樽市史)、移転は一八世紀後半ともいう。一七八一年(天明元年)から五ヵ年にわたって、場所主の氏家新兵衛が運上金二五両で鱒場を与えられ、請負人の大和屋半兵衛は八二―八六年までの五ヵ年の運上金三〇両となっている(天明四年「御収納取立目録」小樽市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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