しょう‐し セウ‥【小市】
〘名〙 小さいいち。また、小さいまち。
※風流魔(1898)〈
幸田露伴〉五「宮は蕞爾
(さいじ)たる小市
(セウシ)論ずるに足らねど」 〔杜甫‐題忠州龍興寺所居院壁詩〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
小市
おたるし
面積:二四三・一三平方キロ
大正一一年(一九二二)八月小樽区を廃して市制を施行。後志支庁管内の北東部に位置し、北部は日本海に面する。東部は石狩市、南部は札幌市南区、西部は余市郡の余市町・赤井川村に接する。西部に於古発山(七〇八メートル)・毛無山(六五〇・四メートル)、南部に朝里岳(一二八〇・八メートル)、東部に春香山(九〇六・九メートル)・和宇尻山(八五六メートル)・天狗山(五三六・七メートル)などがあり、西より蘭島川・桃内川・塩谷川・朝里川・張碓川・銭函川・星置川などの中小河川がほぼ北流して石狩湾に注ぐ。市街地の中央部は三方とも山に囲まれ、中央部を於古発川(オコバチ川、妙見川)、南部を勝納川が流れる。市域をJR函館本線および国道五号・同三九三号が通り、札幌―小樽間には高速自動車道があり、小樽インターチェンジ・朝里インターチェンジ・銭函インターチェンジが設置されている。蘭島・祝津にわたる海岸はニセコ積丹小樽海岸国定公園のうち。一月の平均気温は零下三・二度、八月は摂氏二四度(一九九九年、小樽測候所)。
市域では縄文時代の忍路土場遺跡・忍路環状列石・地鎮山環状列石、続縄文時代の手宮洞窟、アイヌ文化期の桜チャシ(現望洋東公園)などの遺跡が知られる。一七世紀にはヲショロ、シクズシ(のちタカシマ)、ヲタルナイがみえており、一八世紀にかけてこれらに場所が設定され、鯡漁などで活況を呈した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
小市 こいち
1747-1793 江戸時代中期-後期の漂流民。
延享4年生まれ。伊勢(いせ)(三重県)の神昌丸乗組員。天明2年船頭の大黒屋光太夫らと遠州灘で遭難し,アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。カムチャツカ,イルクーツクに滞在。寛政4年光太夫,磯吉とともにエカテリーナ号で帰国したが,5年4月2日根室で病死した。47歳。本名は長右衛門。幸市ともかく。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例