…人口13万2000(1993)。石灰岩の丘陵に囲まれた盆地にあり,テムズ川上流部(アイシス川)とチャーウェル川の間の段丘上に位置する。イギリスの学術の中心であると同時に,商業や出版・印刷,自動車,鉄鋼などの工業も発達する。…
…カエサルの《ガリア戦記》ではサンスクリットのタマサー(〈暗黒の川〉の意)と同語源のタメシス川と記されている。またオックスフォードより上流はしばしばアイシス川と呼ばれる。総延長338km,流域面積約1万3600km2。…
… ベルギーに生まれ,1915年からアメリカに渡ったG.サートンの大著《科学史序説》(1927‐47),ドイツのF.ダンネマンの《大自然科学史》(1910‐13),あるいはフランスのP.タンヌリーの《科学史論集》(1912‐50),イギリスのC.シンガーの一連の著作活動など,いずれも百科事典的な浩瀚(こうかん)な内容をもつもので,データの集積作業であった。それとともに,科学史はこの時期に学問としても制度化されはじめ,サートンが1912年に創刊した論文誌《アイシスIsis》は,アメリカ科学史学会(1924設立)の機関誌として今日に至っており,国際的にも最も権威ある学会誌の一つになっている。 次にこうして集積されたデータを基にして,ある歴史観あるいは解釈を加えて,なんらかの筋の通った歴史を構成しようとする試みが生まれてくる。…
…科学的ヒューマニズムの立場による科学史を目指す。国際科学史学会を創立し(1928)会長になる(1950)ほか,科学史の世界的機関誌《アイシスIsis》(季刊)と《オシリスOsiris》(不定期刊)を発行するなど,科学史が一つの学問分野として確立されるための基本的な条件を整えた。主著は大作《古代中世科学文化史Introduction to the History of Science》3巻(1927‐47)のほか,《科学史と新ヒューマニズム》(1931),《科学の生命》(1948),《科学の歴史》2巻(1952,59)その他多数。…
…しだいに科学史・科学哲学的な研究に関心を示し,この分野の設立期を担う一人となった。12年科学史の国際的学術誌《アイシスIsis》がG.A.L.サートンの手で創設されるや,同誌のイタリアの編集者となり,さらに,いくつかのイタリア語の雑誌を刊行して,科学史,科学哲学を学問として認知させることに力を尽くした。28年パリに移り,サートン,C.J.シンガー,K.ズートホフ,L.ソーンダイクらと国際科学史委員会を形成,その事務局長として29年第1回国際科学史学会の開催を成功させた。…
※「アイシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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