トヨタ自動車(読み)とよたじどうしゃ

共同通信ニュース用語解説 「トヨタ自動車」の解説

トヨタ自動車

愛知県豊田市トヨタ町に本社を置く自動車メーカー。1937年に豊田自動織機製作所の自動車部が独立し、前身のトヨタ自動車工業を創立。トヨタの電装部門が独立したデンソーを中心に多くのグループ企業を持ち、ダイハツ工業日野自動車も傘下に収める。2023年のグループ世界販売は約1123万台で首位。24年3月期の連結営業利益は、日本企業で過去最高の4兆5千億円を見込む。従業員数は連結で約37万5千人。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車(株)
とよたじどうしゃ

販売台数国内1位、世界2位の自動車会社。創業者の豊田喜一郎(とよだきいちろう)は、父佐吉から与えられた自動織機特許代価100万円を元手に自動車の研究を進め、周囲の反対を押し切り、1933年(昭和8)豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)内に自動車部を設置、35年に乗用車の試作に成功、続いてトラックの生産を開始した。翌1936年愛知県挙母(ころも)町(現豊田(とよた)市)で工場建設に着手し、37年にはトヨタ自動車工業を設立、38年末トラック月産1500台の量産体制を整えたが、当初の目標であった乗用車量産は戦時経済のなかでチャンスを失った。

 第二次世界大戦後ドッジ不況下の経営危機を日本銀行と銀行団の支援を受けて切り抜け、1950年代前半、販売会社を分離する一方、アメリカから近代的経営手法を積極的に導入、創意工夫制度や「よい品よい考」の実施など後のQC活動の先鞭(せんべん)をつけた。1955年(昭和30)にはクラウンを発売して乗用車市場に本格的進出を果たし、57年小型車コロナ、61年大衆車パブリカ、66年同カローラを相次ぎ発売、この間、乗用車専門の元町、高岡両工場(ともに愛知県豊田市)を建設して生産能力を拡充、また「かんばん方式」による生産管理を徹底して生産性向上に努めた。

 販売面では、1950年に分離設立されたトヨタ自動車販売が、月賦販売や自動車保険の普及、販売店の経営を重視した販売店指導、複数販売店制度の採用など、総合的マーケティングを展開してモータリゼーションを促進した。

 1960年代なかばからの業界再編成に際しトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の両社は、66年日野自動車工業(現日野自動車)、67年ダイハツ工業と提携するとともに国際競争力に一段と力をつけ、79年には輸出累計1000万台を達成、82年合併して現社名トヨタ自動車となる。また1983年2月、アメリカのゼネラル・モーターズ(GM)社との間にアメリカにおける小型乗用車生産に関する合弁事業について合意が成立、翌84年より合弁会社での生産を開始した。環境問題にも積極的に取り組み、自動車の燃費の向上、排出ガス低減のシステム開発などを行い、1997年(平成9)には世界に先駆けてハイブリッド・カープリウス」を発売した。2000年3月かねてよりエンジンの共同開発など協力関係にあったヤマハ発動機との業務提携強化を発表、さらにヤマハ、ヤマハ発動機との資本提携に合意した。資本金3971億円(2008)、売上高26兆2892億円(2008。連結ベース)、本社工場ほか国内15工場。

[中村清司]

『トヨタ自動車工業編・刊『トヨタ自動車三十年史』(1967)』『トヨタ自動車販売編・刊『トヨタ自販三十年史――世界への歩み』(1980)』『トヨタ自動車編・刊『創造限りなく――トヨタ自動車50年史』全2冊(1987)』『藤本隆宏著『生産システムの進化論――トヨタ自動車にみる組織能力と創発プロセス』(1997・有斐閣)』『板崎英士著『革新 トヨタ自動車――世界を震撼させたプリウスの衝撃』(1999・日刊工業新聞社)』『岡崎宏司・畔柳俊雄・熊野学・遠藤徹・桂木洋二著『トヨタ自動車の研究――その足跡をたどる』(2002・グランプリ出版)』『読売新聞特別取材班著『トヨタ伝』(新潮文庫)』

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百科事典マイペディア 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車[株]【トヨタじどうしゃ】

世界トップの自動車メーカーで,売上高で日本最大の企業。1937年豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)から分離,1950年代から急成長した。全車種を手がけ,2008年は世界で897万2000台を販売,世界シェアで米国ゼネラル・モーターズを抜いて一位となった。日野自動車ダイハツ工業,豊田車体,デンソーなどの諸会社を傘下にもつ。1982年トヨタ自動車販売を合併,トヨタ自動車工業をトヨタ自動車と改称。米国ゼネラル・モーターズと提携するほか,米国,カナダ,英国,中国,東欧などにも工場を建設。1998年ダイハツ工業を,2001年日野自動車を子会社化。2004年,純利益が1兆円を超え,その後も拡大路線で利益拡大を続けたが,2008年,米国の金融危機に端を発する世界同時不況と急激な円高の直撃を受けて大幅な売上げ減少,一気に生産削減に追い込まれ,58年ぶりに赤字転落し,規模と影響力の大きさからトヨタショックと呼ばれた。さらに,2010年3月,米国で,ハイブリッドカー・プリウスのブレーキ電子制御の欠陥問題に端を発したトヨタ車の品質問題が浮上,米議会の公聴会で豊田章男社長らが,欠陥隠しやリコールの対応の遅れなどを厳しく追及され,米国運輸省に過去最大といわれる15億円の制裁金を課せられた。トヨタ複数の車種で大規模なリコールを余儀なくされ,技術と品質の良さを看板に世界一の座についたトヨタにとって大きな打撃となった。経営戦略全般の抜本的な見直しを迫られている。本社豊田市,工場豊田市ほか。2011年資本金3970億円,2011年3月期売上高18兆9936億円。当期純利益4081億円。売上構成(%)は,自動車91,金融6,その他3。
→関連項目アイシン精機[株]愛知[県]かんばん方式企業城下町小糸製作所[株]光洋精工[株]国際証券[株]自動車工業千代田火災海上保険[株]デンソー[株]豊田[市]豊田英二豊田佐吉豊田通商[株]ビッグ・ビジネスミッドランドスクエア

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改訂新版 世界大百科事典 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車[株] (とよたじどうしゃ)

日本で首位の自動車メーカーで,世界でもトップクラスの自動車会社。本社,愛知県豊田市。

 1933年豊田佐吉の長男喜一郎が豊田自動織機製作所に設置した自動車部が前身。37年その自動車部が分離独立してトヨタ自動車工業(株)が発足,社長には佐吉の養嗣子利三郎が就任した。トラック,乗用車の量産体制を整えたが,第2次大戦のため軍需関連のトラックの増産が奨励され,乗用車,バスの生産は制限を受けた。また44年からは飛行機などの兵器の生産を行うようになった。戦後,46年に小型乗用車,小型トラックの試作を始めた。一方GHQはトラックについては1945年9月,乗用車については47年6月に製造許可を出し,トヨタ自動車工業も47年から小型乗用車の生産を再開した。48年から49年にかけての金融引締めによるデフレと労働争議のため,経営は苦境に立たされた。この間販売部門の強化拡大のため50年にトヨタ自動車販売(株)を設立した。50年6月に始まった朝鮮戦争による特需と輸出拡大により苦境を乗りきった。62年には,必要な部品を必要なときに必要な量だけそろえるという方式を徹底した,いわゆる〈かんばん方式〉を採用し,内外の企業に影響を与えた。また66年に日野自動車工業,67年にダイハツ工業と業務提携を結び,事業の多角化のため77年にはトヨタホームを発表,住宅部門に進出した。82年には生産と販売の機能を統一して企業活動を効率化するため,トヨタ自動車工業(株)とトヨタ自動車販売(株)が合併しトヨタ自動車(株)が設立された。その後84年には世界トップのアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)社との合弁会社New United Motor Manufacturing Inc.をアメリカに設立した。1973年には学術研究,社会福祉などに関する事業を援助するためのトヨタ財団を設立している。

 アメリカのほかカナダ,イギリス,中国,東欧にも工場を建設,生産台数においてGMに迫り,世界首位をうかがう勢いである。資本金3971億円(2005年9月),売上高18兆5515億円(2005年3月期)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車
トヨタじどうしゃ

自動車の国内トップメーカー。1937年豊田自動織機製作所(→豊田自動織機)からトヨタ自動車工業として分離独立。1941年豊田工機設立,1945年トヨタ車体工業(→トヨタ車体),1949年日本電装(→デンソー),1950年トヨタ自動車販売,民成紡績,1953年東和不動産設立。1966年日野自動車工業(→日野自動車),1967年ダイハツ工業と業務提携。1982年トヨタ自動車販売と合併して,現社名に変更。1998年東京トヨタ自動車を吸収合併。また同 1998年,ダイハツ工業への出資比率を引き上げ,同社を子会社化するとともに,日野自動車工業も子会社化すると発表。1955年「クラウン」発売以後,乗用車を中心に発展した。自動車生産台数国内首位。多くの関係会社とともにトヨタグループを形成。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「トヨタ自動車」の解説

トヨタ自動車
トヨタじどうしゃ

日本最大の自動車メーカー。豊田自動織機製作所で自動車製造の研究開発を開始した豊田喜一郎は,1933年(昭和8)に自動車部を設置,35年乗用車,ついでトラックの試作に成功,37年製作所から自動車部門を分離独立させてトヨタ自動車工業を創立した。第2次大戦中は軍用トラックや軍用機などの製造を行ったが,戦後民需への転換を進め,55年純国産車トヨペットクラウンを発売し,72年には年間生産200万台を突破,世界有数の自動車メーカーに成長した。50年4月以来分離独立していた販売部門のトヨタ自動車販売を,82年7月に吸収合併し,トヨタ自動車と改称。2014年(平成16)には世界で初めて販売台数1000万台を突破した。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「トヨタ自動車」の解説

トヨタ自動車

正式社名「トヨタ自動車株式会社」。英文社名「TOYOTA MOTOR CORPORATION」。輸送用機器製造業。昭和12年(1937)「株式会社豊田自動織機製作所」から分離独立し「トヨタ自動車工業株式会社」設立。同57年(1982)現在の社名に変更。本社は愛知県豊田市トヨタ町。自動車会社。自動車販売のシェア世界トップクラス。子会社に日野自動車ダイハツ工業など。東京(第1部)・名古屋(第1部)・札幌・福岡・ニューヨーク・ロンドンの各証券取引所上場。証券コード7203。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトヨタ自動車の言及

【愛知[県]】より

…こうした古くからの伝統をもつ軽工業優位の工業地帯は,第2次世界大戦中の軍需工業地帯の時期を経て,戦後,名古屋港南部埋立地に製鋼工場,石油コンビナート,火力発電所などの建設をみたことにより,重化学工業地帯として変貌していった。1937年刈谷の自動織機から発展して挙母町(のち市)に進出したトヨタ自動車の本社は,翌38年に挙母工場(現在の本社工場),59年には元町工場を設立して,市名が豊田市と改称されるほどの躍進をみせた。さらにこの豊田市における自動車工業の拡充発展により,愛知県は自動車王国として知られるに至った。…

【自動車産業】より

…一方,日産コンツェルンでは戸畑鋳物と日本産業との共同出資によりダットサンの製造営業権を継承して1933年自動車製造を設立,34年に日産自動車と改称した。また豊田自動織機製作所では1933年自動車部を設立し,37年にトヨタ自動車工業(現,トヨタ自動車)として独立させた。ここに現在の日本の二大メーカーが出そろうわけである。…

【豊田自動織機製作所[株]】より

…そこで30年ころから同社の工場で自動車の研究が進められ,33年に自動車部が設置され,35年乗用車第1号(A1型)が完成した。37年同社の自動車部門は分離され,トヨタ自動車工業(株)(現,トヨタ自動車)として設立された。 豊田自動織機(株)は第2次大戦中は軍需生産を余儀なくされたが,戦後は再び紡織機,自動車部品の生産に転換,とくに昭和30年代の初めあたりからは自動車エンジン,フォークリフト,カークーラー用コンプレッサーなどの多角化を積極的に推し進めた。…

※「トヨタ自動車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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