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アブド・アッラーフ・ブン・フサイン ‘Abd Allāh b.Husayn

世界大百科事典 第2版の解説

アブド・アッラーフ・ブン・フサイン【‘Abd Allāh b.Husayn】

1882‐1951
ヨルダンの初代国王。メッカのシャリーフフサインの次男。第1次大戦直前カイロで〈アラブ合同〉運動に参加,開戦と同時に父の命令で〈アラブ反乱〉に参画。以後イギリスをたよりにトランス・ヨルダンの首長(アミール)位につき(1921),1946年独立して国王となる。〈大シリア〉計画を提唱して周辺諸国から警戒される。〈アラブ軍団〉が第1次中東戦争でヨルダン川西岸地帯を占領して併合,国名をヨルダンと変更(1948),51年エルサレムで暗殺された。

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世界大百科事典内のアブド・アッラーフ・ブン・フサインの言及

【シリア】より

… 第1次世界大戦においてオスマン帝国がイギリス,フランスなどの連合国側に敗北,解体して,国民主義,世俗主義,共和制のトルコが生まれると,スルタン・カリフ制はあっさり廃止される。他方,戦時にメッカのシャリーフ,ハーシム家のフサインは,イギリスからオスマン帝国下にあったシリア,アラビア半島におけるアラブ王国独立の約束を取り付け(フサイン=マクマホン書簡),息子のファイサル1世アブド・アッラーフ・ブン・フサインとともにアラブ反乱を開始する。ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。…

【ヨルダン】より

…そして前年の1917年に出された〈バルフォア宣言〉によりパレスティナにユダヤ人の郷土を建設する動きが活発となって,アラブの苦難とパレスティナの悲劇の歴史が開始されることになった。当時ヒジャーズ王を名のっていたフサインの第2子アブド・アッラーフ・ブン・フサインは21年3月アンマーンへ進撃した。同年3月末,イギリスはパレスティナを二分し,ヨルダン川東岸地域をアブド・アッラーフの領土とすることに同意し,23年5月15日イギリスの委任統治領トランス・ヨルダン首長国Emirate of Trans‐Jordanが成立した。…

※「アブド・アッラーフ・ブン・フサイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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