アブラ(読み)あぶら

日本歴史地名大系 「アブラ」の解説

アブラ
あぶら

漢字表記地名「虻羅」のもととなった地名。コタン名。元禄郷帳に「あふら」、天保郷帳には「セタナイ持場」のうち「アブラ」とみえ、当地一帯は近代に入り虻羅あぶら村に包含された。仮名表記は「あふら」「アフラ(「西蝦夷地日記」、「蝦夷日誌」二編など)、「アブラ」(「蝦夷志」「東海参譚」「廻浦日記」など)のほか異表記をみない。セタナイから一里ほどの距離にあり、岩岸を伝って小道があった(遠山・村垣「西蝦夷日記」)。松浦武四郎は「湾宜敷して波浪無故に、油の如しと云より号しか」と地名の由来を説明している(板本「西蝦夷日誌」)。また「此処岩ワシリ、奇岩怪石畳々たり。ヲモナイ辺より公料の節多くの費用を懸て有難も此処へ山越道を開き給ひしが、今は松前家にて此道を通る事を禁じ、夷人たりとも極々内分ニて此処を往来するよし也。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報