ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェッティン家」の意味・わかりやすい解説
ウェッティン家
ウェッティンけ
Wettiner
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…加えて,エルツ山地に発見された豊かな銀鉱の開発が13世紀に入ると大規模化するなど,この地方の人口は200年足らずの間に10倍以上にもなったといわれ,ここにまったく新しいドイツの一地方が出現することになったのである。 この新開拓地において,諸他の権力とせりあいながら支配的政治勢力にのし上がったのはチューリンゲン出身の一貴族ウェッティン家Wettinerであった。同家はまず,ザーレ川下流域の植民活動を組織して堅固な実力基盤を築くとともに,12世紀初頭までにはマイセン辺境伯(マルクグラーフ)の地位を皇帝から受封し,事実上,王の支配権限をマルク全域にわたって代行する立場を獲得した。…
…ルドウィング家の家系は彼ののち2代ほど経て,1247年に絶える。 相続争いののち,チューリンゲンは1263年マイセン方伯ハインリヒ3世(ウェッティン家Wettiner)の手に帰す。彼の息子アルブレヒトは,93年その領地を国王アドルフ・フォン・ナッサウに売却したが,アルブレヒトの子フリードリヒ無怖侯はこの移転に疑義を唱え,アドルフとその相続者アルブレヒト1世と争い,これを1307年撃破し,領地を取り戻した。…
…この地域は,古くからエルベ川を通じての通商の要衝を占め,人口に富み,ブドウ栽培,ブドウ酒醸造,各種手工業,エルツ山脈に広がる多くの鉱山をもつ豊かな地域であった。後のザクセン王家,ウェッティン家Wettinerはここで興隆の基礎を築いた。中世初期にはこの地はスラブ人居住地域への境界地域であったが,最初の辺境伯として968年にウィグベルトWigbertが封ぜられている。…
※「ウェッティン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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