選帝侯(読み)センテイコウ(その他表記)Kurfürst

デジタル大辞泉 「選帝侯」の意味・読み・例文・類語

せんてい‐こう【選帝侯】

中世ドイツで、神聖ローマ皇帝選挙する特権をもった諸侯。1356年発布の金印勅書で、マインツケルントリーアの各大司教、ボヘミア王・ライン宮廷伯(プファルツ伯)・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯の7諸侯に限定された。選挙侯
[補説]1692年にはカレンベルク侯が選帝侯の地位を得てハノーファーハノーバー)選帝侯となり、1803年にはケルン・トリーアに代わってウュルテンベルク公・バーデン辺境伯・ヘッセン‐カッセル方伯・ザルツブルク公が選帝侯となるが、1806年の神聖ローマ帝国崩壊とともに選帝侯はその役割を終えた。

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精選版 日本国語大辞典 「選帝侯」の意味・読み・例文・類語

せんてい‐こう【選帝侯】

  1. 〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Kurfürst の訳語 ) 中世ドイツで神聖ローマ皇帝の選挙に関与することのできた諸侯。皇帝の地位はもともと選挙制を原則としたが、一時期世襲制となり、一三世紀中葉以降になって選挙制が復活し、ついで選挙権が一群の有力諸侯に固定した。金印勅書(一三五六)ではマインツ・ケルン・トリールの大司教、ボヘミア王、ライン宮中伯(プファルツ)、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯の七諸侯。一七世紀以降、数や顔ぶれは変化した。一八〇六年ライン同盟の成立により消滅。選挙侯。

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改訂新版 世界大百科事典 「選帝侯」の意味・わかりやすい解説

選帝侯 (せんていこう)
Kurfürst

12~13世紀以後ドイツ国王の選挙権を有した聖俗諸侯を指す。選挙侯とも呼ばれる。中世のドイツ帝国(ドイツ王が皇帝を兼ねる神聖ローマ帝国)では,古来の選挙原理が強力で王位世襲が確立しなかった。父王が諸侯に息子を共同統治者へ選出させ,死後に彼が支配者となる方式(血統権による選挙制)が堅持された。フランスでは父から子への王位継承が円滑に進み13世紀初めに世襲制が確立したが,ドイツではハインリヒ6世(在位1169-97)の世襲帝国化計画がその急死で挫折した後,選挙王制がますます促進された。1198年の史上初の二重国王選挙は,教皇インノケンティウス3世を裁定者とし,教皇選挙法に代表される教会法の自由選挙の影響を受け,人民を排除した諸侯だけの国王選挙が確定し,ライン諸侯4名(マインツ,ケルン,トリールの三大司教とライン宮中伯)の関与が不可欠とされた。13世紀前半の《ザクセン・シュピーゲル》は,選挙を選挙(狭義)と選定に分け,前者を全諸侯が行い,後者で選定侯が主役を演ずるとし,上の4名にザクセン大公,ブランデンブルク辺境伯を加えた。選定を行う選帝侯は1257年の二重選挙以後慣習法的に確定し,89年にボヘミア王が加わり7名の選帝侯が独占的に国王=皇帝選挙権を有し,大空位時代後の6回の選挙では,領邦国家形成途上の諸侯勢力の利益代表として,家門権力に基づく国王=皇帝と領邦諸国家との二元体制を推進した。14世紀前半に選帝侯会議は法人団体とされ,従来の全会一致から多数決原理へ転換し,国王=皇帝選挙法は金印勅書(1356)で明文化した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「選帝侯」の意味・わかりやすい解説

選帝侯
せんていこう
Kurfürst ドイツ語

中世ドイツ国王=神聖ローマ皇帝を選挙する資格をもつ聖俗の大諸侯。選挙侯ともいう。13世紀前半の法書『ザクセンシュピーゲル』では、マインツ、トリール、ケルンの各大司教、ライン宮廷伯、ザクセン大公およびブランデンブルク辺境伯が選帝侯としてあげられ、のちベーメン王が加わって七大選帝侯といわれた。レンゼの選帝侯会議(1338)で多数決原理が導入され、金印勅書(1356)で確立されるとともに選挙手続も確定され、他方選帝侯には不上訴特権その他多くの特権が与えられた。15世紀初めのフス戦争以降ベーメン王は選帝侯から外され(1708年以後復活)、1623年以降ライン宮廷伯にかわりバイエルン大公が選帝侯となったが、1654年に宮廷伯は復活、1777年宮廷伯領がバイエルンに統合されるまで続いた。ナポレオン1世の支配時代には、「帝国代表者会議主要決議」(1803)により、マインツ大司教領はレーゲンスブルクに移され、フランスに合併されたケルンとトリールにかわって、ウュルテンベルク、バーデン、ヘッセン・カッセル、ザルツブルク(1805年以降はウュルツブルク)の四選帝侯領が新設された。1806年ライン同盟の成立により、選帝侯会議は最終的に消滅した。

[平城照介]

『町田秀実著『多数決原理の研究』(1958・有斐閣)』

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百科事典マイペディア 「選帝侯」の意味・わかりやすい解説

選帝侯【せんていこう】

選挙侯とも。ドイツ王=神聖ローマ帝国皇帝を選挙し,帝国の重要事項を討議する特権をもつ諸侯。13世紀の法典〈ザクセンシュピーゲル〉では,教会諸侯3人(マインツ,ケルン,トリールの各大司教)と世俗諸侯3人(ライン宮中伯,ザクセン大公,ブランデンブルク辺境伯)に限定。1289年後者にボヘミア王が加わる。1356年金印勅書で多数決原理に基づく7選帝侯制が確立。17世紀以降その数と顔ぶれがしばしば変わるようになり,1806年神聖ローマ皇帝廃止によって有名無実化。
→関連項目ドイツルクセンブルク朝

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「選帝侯」の解説

選帝侯(せんていこう)
Kurfürst

選挙侯ともいう。ドイツ国王選挙に排他的に関与する諸侯金印勅書の規定では3人の聖職諸侯(マインツケルントリーアの各大司教)と4人の世俗諸侯(ボヘミア王,ライン宮中伯〈プファルツ〉,ザクセン公,ブランデンブルク辺境伯)に限定された。ただし,17世紀にはバイエルン公,ブラウンシュヴァイク・ハノーヴァー公が加えられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「選帝侯」の意味・わかりやすい解説

選帝侯
せんていこう
Kurfürsten

選挙侯とも呼ばれる。神聖ローマ皇帝の選挙権を有するドイツの有力諸侯。 13世紀中頃に7人と確定したので7選帝侯ともいう。すなわち,マインツ,トリエル,ケルンの3人の大司教,ボヘミア王,ライン=ファルツ伯,ザクセン公,ブランデンブルク辺境伯の4人の世俗諸侯をいう。神聖ローマ皇帝の帝位が世襲原理に立脚しえず,選挙原理に終始しなければならなかった結果である。7選帝侯はドイツ諸侯中特に高い権威と大きな特権を認められたが,これを国制上明定したのが 1356年カルル4世の発した金印勅書である。これによって7選帝侯に領内の最高裁判権や鉱山採掘権,貨幣鋳造権,関税徴収権などを含む広範な特権が与えられた。 17世紀以後,選帝侯の数は少しふえた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「選帝侯」の解説

選帝侯
せんていこう
Kurfürst

中世ドイツで皇帝選挙権をもった諸侯
王位相続の原則に選挙制が加えられたのはカロリング朝末期以後で,1002年以後は,皇帝の選挙人に世俗諸侯のほか宗教諸侯が加えられた。1273年の選挙以来,選挙人は七大聖俗諸侯(マインツ・ケルン・トリールの三大司教,ファルツ伯・ベーメン王・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯)に限定され,1356年カール4世の金印勅書によって選帝侯の制度が確立した。17世紀にはバイエルン公・ハノーヴァー公も加わった。

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