ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュマルカルデン戦争」の意味・わかりやすい解説
シュマルカルデン戦争
シュマルカルデンせんそう
Schmalkaldischer Krieg
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… 一方,領邦分立主義と結びつく政治的なプロテスタンティズムとカトリック陣営との敵対はますます深まり,トリエント公会議(1545‐63)の招集でカトリシズムの内的刷新と教皇権の復興(反宗教改革)が緒についたその翌年,皇帝は公会議への出席を拒んだドイツ・プロテスタントの武力弾圧に乗り出した。このシュマルカルデン戦争(1546‐47)は皇帝側の勝利に終わったが,それに乗じて皇帝の統治権を強化せんとするカール5世の野心は,52年に宗派をこえたドイツ諸侯の反撃にあい,むなしくついえ去った。失意の皇帝がネーデルラントに退いたのち,カールの弟フェルディナント1世が主宰するアウクスブルクの帝国議会で,ドイツの宗教問題に政治的な決着がつけられた。…
…35年同盟関係が更新され,ヨーロッパ内の一大政治勢力になると,皇帝・旧教側はニュルンベルク同盟を締結して対抗の構えを示した。45年トリエント公会議の開催にあたり,新教派が公会議への参加を拒否したことを口実に,皇帝は新教派討伐のためにシュマルカルデン戦争を起こした。47年同盟は敗北し,瓦解させられた。…
※「シュマルカルデン戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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