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ウクバ・ブン・ナーフィー ‘Uqba b.Nāfi‘

世界大百科事典 第2版の解説

ウクバ・ブン・ナーフィー【‘Uqba b.Nāfi‘】

?‐683
ウマイヤ朝の北アフリカ総督。エジプトの征服者アムル・ブン・アルアースの甥。663‐670年にかけてリビアからチュニジアの征服を完了。670年チュニジアに軍営都市カイラワーンを建設し,以後の北アフリカ征服の拠点とした。680年一軍を率いてマグリブに長征し,モロッコのアガディールの北で大西洋に達した。帰途ベルベル人との戦闘でビスクラ付近で戦死した。【花田 宇秋】

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世界大百科事典内のウクバ・ブン・ナーフィーの言及

【ウマイヤ朝】より

…またムハンマド・ブン・アルカーシムは西北インド(シンド)を征略した(712‐713)。北アフリカ征服は,670年ウクバ・ブン・ナーフィーのカイラワーン建設により本格化し,711年ターリク・ブン・ジヤードが,712年ムーサーがイベリア半島に上陸し,その大部分を制圧した。のち,イスラム軍は732年トゥール・ポアティエの戦でフランク軍にその北進を阻止されたが,その後も734年にはローヌ渓谷に,743年にはリヨンに達した。…

【カイラワーン】より

…人口10万3000(1994)。アラブの軍人ウクバ・ブン・ナーフィーが670年に築いた軍営都市(ミスル)が起源で,マグリブ最古のイスラム都市。ベルベル人の指導者クサイラによる占領(7世紀末)やイスラムの異端派ハワーリジュ派による占領(8世紀中ごろ)など,政治的に不安定な状態が続いた。…

【マグリブ】より

… これに対して,7世紀中ごろ,イスラムとアラビア語を携えて侵入してきたアラブは,ベルベルの改宗,混血を進めることによって彼らを徐々に同化させていったが,その過程は困難を極めた。670年,ウクバ・ブン・ナーフィーの率いるアラブはマグリブに進軍し,軍営都市カイラワーンを建設したが,ベルベルの指導者クサイラやカーヒナによる激しい抵抗に遭った。それらの抵抗が鎮圧された後も,ベルベルはウマイヤ朝,アッバース朝,アグラブ朝(800‐909。…

※「ウクバ・ブン・ナーフィー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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