カシュガル界約(読み)かしゅがるかいやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カシュガル界約」の意味・わかりやすい解説

カシュガル界約
かしゅがるかいやく

清(しん)朝とロシア帝国との間で1882年に結ばれたカシュガル東北界約と、84年に結ばれた同西北界約をさし、両国の中央アジア国境を画定した条約。1727年のキャフタ条約、1860年の北京(ペキン)条約、64年のタルバガタイ界約、81年のイリ条約で画定された両国の中央アジア国境線の南部を完成させるため、現地で画定された。東北界約はナリン川の源からベデリ山まで、西北界約はベデリ山から南西方、ウズベル山までの両国国境を画定して界標を立て、地図を付した。これによって、イシク・クリ湖とカシュガル西辺を含めて、ロシア帝国はやや東方へ領域を拡大し、これが中国と旧ソ連との国境線の一部となった。

[佐口 透]

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