カーンバ朝(読み)カーンバちょう(英語表記)Kāṇva

改訂新版 世界大百科事典 「カーンバ朝」の意味・わかりやすい解説

カーンバ朝 (カーンバちょう)
Kāṇva

古代インド,マガダ国王朝。前75-前30年ころ。シュンガ朝大臣でバラモン出身のバスデーバが,主君を殺して王朝を創始した。プラーナ(古伝承)文献によると,バスデーバ,ブーミミトラ,ナーラーヤナ,スシャルマンの4王が45年間統治したのち,アーンドラ朝に滅ぼされたという。カーンバ朝の領土は,マウリヤ帝国の中心部を継承したシュンガ朝の領土よりもさらに縮小し,その支配はガンジス川中流域に限られたらしいが,史実については不明な点が多い。この王朝が倒れたあと,4世紀にグプタ朝が興るまでの約3世紀半の間,マガダ地方に有力な王朝は出現していない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーンバ朝」の意味・わかりやすい解説

カーンバ朝
カーンバちょう
Kānva

北インドの王朝 (前 72頃~28頃) 。マウリヤ朝に代ったシュンガ朝最後の王を倒し,その大臣のバスデーバ Vasudevaが建国。プラーナ文献によれば,4代の王が 45年間統治したのち,サータバーハナ朝に滅ぼされたといわれるが,詳細は不明。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカーンバ朝の言及

【シュンガ朝】より

…シュンガ朝のもとでバラモン教が復興したことは確かであるが,この時代にサーンチーバールフットの仏塔が修造されているところをみると,仏教迫害は,たとえ行われたとしても一時的なものであったらしい。この王朝はパンジャーブに本拠を置くインド・ギリシア人勢力との戦いなどで疲弊し,10王112年間つづいたあと,大臣のバスデーバVāsudeva(カーンバ朝の創始者)に滅ぼされた。【山崎 元一】
[美術]
 シュンガ朝とそれに続くカーンバ朝の美術にはあるまとまりが見られ,一括して扱われるのが一般的である。…

※「カーンバ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android