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ガラテヤ Galatia

翻訳|Galatia

世界大百科事典 第2版の解説

ガラテヤ【Galatia】

小アジア北部地方の名で,民族学的には,前3世紀にイタリアからギリシアを経て移動したゴール人(ケルト人)が定住した小アジアの北東部をさす。のち前189年にローマに征服され,ローマの一属州として本来のガラテヤ(ガラティア)を中心にフリュギア,ピシディア,ルカオニア,イサウリアなどの南方諸地域を含むより広い地方名となった。それで使徒パウロが書いた《ガラテヤ人への手紙》のあて先が,本来のガラテヤだったのか(北部説),ローマ属州としてのガラテヤだったのか(南部説)の2説がある。

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大辞林 第三版の解説

ガラテヤ【Galatia】

紀元前278年、ケルト人が小アジア中央部に建設した王国。紀元前二五年ローマの属州になった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ガラテヤ
がらてや
Galatia

古代アナトリア(現在のトルコ)の一地方名。紀元前278~前277年にヘレスポントス(ダーダネルス)海峡を越えて侵入したケルト系民族(ガラティ)がアナトリア高原中央部を占拠し、約半世紀にわたり原住民社会を略奪したときから、この地名がおこった。前230年以後ペルガモン王国によって、前64年以後はローマによって、かつてのフリギア人の土地に定住させられ、アンカラ、ペッシヌスなどの都市を含む小王国をなした。産業は原住民を使った穀物生産と牧畜で、少数勢力のガラティが軍事力を握って支配階級を構成した。行政区はトロクミ、トリストボギイ、テクトサゲスの3部族からなり、その連合体の会議が司法権の一部をもった。前25年、3代目の王アミュンタスの死とともに、ローマ帝国の属州に編入された。帝政下では州境の変更がしばしばあったが、11世紀以後トルコ人の支配下に入った。聖パウロのガラテヤ伝道路(紀元後40年代)については北部説と南部説とがある。[小川英雄]

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