改訂新版 世界大百科事典 「フリュギア」の意味・わかりやすい解説
フリュギア
Phrygia
小アジア北西部およびこれに連なる中央部の高原地帯を指す古代の地域名。前11世紀ころ,インド・ヨーロッパ語系のフリュギア人が,アッシリア王ティグラトピレセル1世との抗争を経てこの地に定住した。前8世紀末,ミダス王のもとで最盛期を迎える。土地は王や貴族,神殿に属し,農耕,牧畜,毛織物業などが営まれた。しかし前695年にキンメリア人の侵入を受けて王都ゴルディオンも陥落し,以後小国に分裂して,フリュギア人自身の国家はつくられなかった。リュディアの支配を経て,前333年にはアレクサンドロス大王に服従し,のちセレウコス朝シリアに編入された。前275年にはガラティア人(ケルト系)の侵入を受けてサンガリオス川の東部を譲り,ペルガモン王国が西部を占領した。前133年にはこの西部地帯はローマ領に組み込まれ,属州アシアとされた。さらに後300年,コンスタンティヌス帝は帝国統治機構の再編にあたって,この地を独立した2属州フリュギア・プリマとフリュギア・セクンダとに分割した。
執筆者:田村 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報