20世紀日本人名事典 「クーデンホーフ光子」の解説
クーデンホーフ 光子
クーデンホーフ ミツコ
Coudenhove-Kalergi Mitsuko
明治〜昭和期の伯爵夫人 クーデンホーフ伯爵夫人。
- 生年
- 明治7年7月16日(1874年)
- 没年
- 昭和16(1941)年8月28日
- 出生地
- 東京・麻布
- 旧姓(旧名)
- 青山 光子(アオヤマ ミツコ)
- 経歴
- 骨董屋の娘として生まれる。東京・芝の社交倶楽部・紅葉館に3、4年勤めた後、自家の店を手伝う。明治25年18歳の時オーストリア駐日代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚。29年渡欧後は語学の他、伯爵夫人としての貴族の教養を身につける。39年夫が急死。親族に一人で帰国することを勧められるが、法廷で争い、夫の遺言通り遺産をすべて相続、7人の子の後見人に。領地、財産の管理を一手に引き受け、ウィーン社交界でも衆目を浴びた。のち息子リヒャルトが汎ヨーロッパ主義を提唱、“欧州連盟案の母”“ECの祖母”として知られる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報