ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グアム島の戦い」の意味・わかりやすい解説
グアム島の戦い
グアムとうのたたかい
(1) 1941年12月8~9日にサイパン島から発進した日本機がグアム島に爆撃を加えたのち,12月10日に歩兵第144連隊を中心とする南海支隊と第5特別陸戦隊からなる日本軍がメリッツォ,ウマタック,タロホホ湾,アガニャ湾(ハガニア湾)に上陸して戦闘,400人足らずのアメリカ守備隊は約 50人の死傷者を出してその日のうちに降伏した。日本側は戦死者 1人,負傷者 7人。占領後,グアム島は大宮島に,アガニャ(ハガニア)は明石市と改名された。
(2) 1944年7月21日にアメリカの第3海兵師団,陸軍の第77師団,第1海兵旅団がアガット海岸,アサン海岸に上陸し,小畑英良司令官が率いる第31軍を主力とする日本守備隊が迎撃した。日本軍は 7月25日に総攻撃に出たが,8月11日に小畑中将が自決し,日本軍の組織的抵抗は終わった。その後も長い間日本兵の掃討が続いた。アメリカ軍の戦死者約 1400人に対し,約 2万人の日本将兵が戦死した。
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