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コンスタンティノス[11世] Kōnstantinos XI

世界大百科事典 第2版の解説

コンスタンティノス[11世]【Kōnstantinos XI】

1404‐53
ビザンティン皇帝。在位1449‐53年。コンスタンティノス12世とする場合もある。マヌエル2世の子でモレア公国の君主(1441‐49)であったが,兄ヨハネス8世の死後即位。国土はすでにオスマン・トルコ勢に包囲され,フェラーラフィレンツェの公会議(1439)で教会統一を宣言したものの,西欧の軍事援助は得られず国内の猛反対にもあい,窮地に立つうちに1453年5月29日にスルタン・メフメト2世の大攻撃を受け,自身も最後の皇帝として市内の白兵戦に倒れた。

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世界大百科事典内のコンスタンティノス[11世]の言及

【フィレンツェ公会議】より

…ただ一行中には少なからざるビザンティン文人が含まれており,フィレンツェの人文主義者たちの熱狂的歓迎を受け,その持参したギリシア古典の手写本と相まって,西方の文芸復興を促進させる結果となった。 1440年2月皇帝一行はコンスタンティノープルに戻ったが,すでにエフェソス府主教マルコス・エウゲニコスはフィレンツェで決議の署名を拒否し,続いて統一の推進者ベッサリオン(ニカエア府主教),イシドール(モスクワ府主教)が枢機卿としてコンスタンティノープルを去るなかで,統一反対の空気は高まり,決議の国内での実現に踏み切れないままにヨハネス8世は世を去り(1448),続いて皇帝となった弟のコンスタンティノス11世が,すでに始まったオスマン帝国スルタン,メフメト2世のコンスタンティノープル包囲のもとで,1452年12月ハギア・ソフィア教会における元老院,市民参加の典礼の後,ようやく統一決議の実施を宣言することができた。しかし,その結果ビザンティン人の反ラテン感は高まる一方で,彼らは自分たちの伝統的宗教心情を最後まで譲らず,トルコ支配下でもそれを守った。…

※「コンスタンティノス[11世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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