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コンスタンティノス[5世] Kōnstantinos V

世界大百科事典 第2版の解説

コンスタンティノス[5世]【Kōnstantinos V】

718‐775
ビザンティン皇帝。在位741‐775年。父レオ3世のイコノクラスム(聖画崇拝禁止策)を本格化する目的で,教皇も他の東方教会の総主教たちも欠席したいわゆる〈頭のない教会会議〉をヒエリアで開催(754),ローマとの関係の悪化をも招いた。対外的にはウマイヤ朝からアッバース朝への転換期にあったイスラム勢力と内紛に揺れるブルガリアを巧みに抑えたが,イタリアのランゴバルド進出は防げず,西欧の橋頭堡ラベンナ総督府を失った。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のコンスタンティノス[5世]の言及

【ビザンティン帝国】より

…バルカンではブルガール族が,皇帝自らの指揮する遠征軍を破って(680)ドナウ川を渡り,数的に勝るスラブ人を支配下に収めた新国家を建てた。 7世紀末~8世紀初めの20年の政治的混乱に終止符を打ったレオ3世(在位717‐741)は,コンスタンティノープルを包囲するアラブ・イスラム軍を撃退し(717‐718),その後もアナトリアに繰返し侵入する彼らをアクロイノンで破って(740),対アラブ関係に転機を画し,息子コンスタンティノス5世(在位741‐775)はシリア(746),アルメニア,メソポタミア(752)に遠征して,戦闘を国境戦に局地化する端緒を開き,ブルガリアに対しても遠征を行った。しかし両帝が開始した宗教政策イコノクラスム(第1期726‐787,第2期813‐843)は,対内的に混乱を招く一方,ローマ教皇庁との断絶を生み,報復措置としてビザンティン側はシチリア,カラブリア,イリュリアの教会管轄権をローマからコンスタンティノープルに所属替えした。…

※「コンスタンティノス[5世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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