日本大百科全書(ニッポニカ) 「コーファックス」の意味・わかりやすい解説
コーファックス
こーふぁっくす
Sanford Koufax
(1935― )
アメリカのプロ野球選手(左投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のブルックリン・ドジャース(1958年からロサンゼルス・ドジャース)で投手としてプレー。その快速球で、ドジャースに黄金時代をもたらした「黄金の左腕」である。
12月30日、ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。1955年、ドジャースに入団。マイナー・リーグの経験なしで大リーグでプロ生活をスタートさせた。しかし、期待の大きさに反して伸び悩み、1957年までは1桁(けた)勝利しか記録できなかった。1958年に11勝し、初めて2桁勝利をマークしたが、敗戦も11であった。1959年と60年は8勝ずつとふたたび低迷。1961年に18勝13敗を記録し、奪三振王を獲得してから、本格的に才能が開花した。1962年には初のノーヒットノーランを達成して最優秀防御率を獲得。以降、1964年まで3年連続してノーヒットノーランを1回ずつマークし、65年には完全試合を達成した。またこの間、最優秀防御率のタイトルも5年連続で獲得した。1963、65、66年は投手三冠王となり、いずれの年もサイ・ヤング賞(最優秀投手賞のこと)を受賞。なかでも1963年と65年はチームがワールド・シリーズを制覇し、63年は最優秀選手(MVP)も同時受賞した。1965年の奪三振382は、ノーラン・ライアンが73年に更新(383)するまで、シーズン最多記録であった。選手として頂点にあった1966年のシーズンオフ、左腕が限界であることを理由に突然、引退した。
12年間の通算成績は、登板試合397、投球回2324と3分の1、165勝87敗、防御率2.76、奪三振2396、完投137、完封40。獲得したおもなタイトルは、最多勝利3回、最優秀防御率5回、最多奪三振4回、サイ・ヤング賞3回、MVP1回。1972年に野球殿堂入り。
[山下 健]