現代外国人名録2016 「サム・レンシー」の解説
サム・レンシー
Sam Rainsy
- 職業・肩書
- 政治家 カンボジア救国党党首 元カンボジア財政経済相
- 国籍
- カンボジア
- 生年月日
- 1949年3月10日
- 出生地
- プノンペン
- 学歴
- パリ政治学院卒,INSEAD(経営学)修士課程修了
- 経歴
- フランスで経営コンサルタント会社を経営。1992年帰国。シアヌーク殿下によるフンシンペック党設立に参加、最高国民評議会(SNC)でラナリット第1首相と2人で党代表を務める。’93年カンボジア国会議員に初当選し、10月財政経済相となり、経済改革と汚職追放などを訴え国民の人気を集める。’94年10月政争から更迭。その後、政府批判を繰り返し、党から除名、’95年6月国会議員の地位を剥奪された。同年11月新党を結成、政府から無効とされたが、’96年3月小政党の自由和解党党首に就任、同党名をクメール国民党(KNP)に変更。’97年7月フン・セン派とラナリット派の武力衝突が起きた際にはフランスに滞在、国外にとどまるが、11月帰国。’98年3月、7月の総選挙に向けてサム・レンシー党を旗揚げ。フン・セン政権に対する徹底した批判で支持を広げ、下院議員に当選。フン・セン首相と対立を深め、2009年フランスに事実上亡命。2011年3月最高裁判決で公共財産破壊などの罪で禁錮12年の実刑が確定し、下院議員資格を剥奪される。2012年10月カンボジア救国党を結成、2013年4月党首に就任。7月恩赦を受けて帰国。2014年7月下院議員に復帰。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報