改訂新版 世界大百科事典 「シャムシアダド1世」の意味・わかりやすい解説
シャムシアダド[1世]
Shamshi-Adad Ⅰ
アッシリア王。在位,前1813-前1781年。その治世の最後の11~12年ほどはバビロンのハンムラピ王の治世の初めに重なる。父はイラカブカブ。一時バビロニアに滞在したこともあったようだが,やがて北上しエカラートゥムを占領,次いで時のアッシリア王エリシュム2世Erishum Ⅱを追放して自らアッシリア王となった。彼はアッシリアの出身ではなくアモリ(アムル)系で,ハンムラピ王一族とは同じ先祖を共有していたことが知られている。シャムシアダドは息子のイシュメダガンを旧都エカラートゥムの王に任じて王国東辺の守りとし,もう1人の息子ヤスマハアッドゥを自分が新しく征服したばかりのマリの王とし,自らはハブール川上流域にあったと思われるシュバトエンリルにいて,東はザーグロス山麓から西はユーフラテス川西端まで広がる王国を支配した。マリから出土した150通近いヤスマハアッドゥあての彼の書簡から,その統治ぶりや息子に対するきわめて人間的な感情を読み取ることができる。
執筆者:中田 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報