デジタル大辞泉
「ハンムラビ」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ハンムラビ
Hammurabi; Hammurapi
バビロン第1王朝 6代目の王。ハンムラピとも呼ばれる。在位年数については,前 1792~前 1750年と前 1728~前 1686年の2説がある。 25歳の頃即位,6年間宗教や内政の整備に力を注いだあと,対外的発展を企て,強国に囲まれた小さな都市国家の中心にすぎなかった王国を,外交的・軍事的手段を巧みに用い,ユーフラテス川の支配を戦略的眼目におきつつ,強大な国に築き上げた。治世 30年目には宿敵リム=シンを破り,アッカド,シュメール,エラム,マリ,アッシリアの全領域を支配し,全バビロニアを統一してその黄金時代を築いた。首都バビロンはオリエント世界の中心として栄え,前 3000年代初期以来,南部にあったメソポタミアの歴史の舞台は,以後 1000年にわたって北部に移されるにいたった。彼は外敵に対しては厳しかったが,対内政策においては「民の牧者」としてふるまい,神殿造営,宗教の正しい励行,個人の権利の保障,官吏の汚職の糾弾,灌漑施設の整備,農業の振興,交易路の確保など善政を行なった。出土した多くの粘土板は,彼が国内の情報を的確に入手し,それに適応する政策を打ち出す努力をしたことを物語っている。しかし強力な行政機構を確立するにいたらず,彼の軍事的成果は短命に終わった。彼の制定した『ハンムラビ法典』は特に有名であり,また『ギルガメシュ叙事詩』などの文学が定着したのも彼の時代のことである。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ハンムラビ
Hammurabi
(在位前1792頃~前1750頃)
バビロン第1王朝の第6代王。ラルサ,アッシュル,マリ,エシュヌンナなどの対抗勢力を攻略し,ウル第3王朝以後分裂していたメソポタミアを再統一。ハンムラビ法典を編纂。ハンムラビの死後すぐに,カッシート人が侵入し,南部地域に反乱が多発し支配権を失った。ハンムラビ死後のバビロンの支配領域は,全般的に首都周辺に限定されたとみるべきであろう。サムスディタナのとき,ヒッタイト王ムルシリがバビロンを攻略。その衝撃でバビロン第1王朝は滅亡。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ハンムラビ
Hammurabi
生没年不詳
古バビロニア王国(バビロン第1王朝)第6代の王(在位前1724〜前1682 (ごろ) )
その治世の間に全メソポタミアに大統一国家を建設した。バビロンの守護神マルドゥークをバビロニアの神々の最高神とし,地方に総督を派遣して強力な中央集権国家を形成した。法律も整備してハンムラビ法典を作り,またアッカド語を公用語とした。その治世は,バビロニア古典文化の確立期とされる。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のハンムラビの言及
【ハンムラピ】より
…在位,前1792‐前1750年。ハンムラビ(ハムラビ)Hammurabiともいう。治世の最初の11~12年間は,北のアッシリアに強力な支配者[シャムシアダド1世]が存在したため彼の影は比較的薄かったが,シャムシアダド1世の死後,ハンムラピは後のバビロニア統一のための基礎を築き始める。…
※「ハンムラビ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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