ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アラム人」の意味・わかりやすい解説
アラム人
アラムじん
Aramaeans
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アモリ人、フェニキア人とともに西セム系に属する遊牧民族。紀元前15世紀のアマルナ時代から始まる民族大移動の波によって、前11世紀ごろから前8世紀ごろまでシリア北部からメソポタミア北部に定着し、ここを根拠として、商業民族として四方に進出した。『旧約聖書』やアッシリアの記録では強力な略奪者とされている。アッシリアのティグラト・ピレセル1世の前11世紀の碑文で、アラム人の名前が初めて現れる。前11世紀末、アラム人はシリア北部のユーフラテス川の両岸にビト・アディニという王国をつくり、ハーブール川流域からダマスカスを含むアンティ・レバノン山脈地域までを領有した。バビロンでも前9世紀にカルデア人(アラム系遊牧民)として知られる王国をつくったが、最終的に前8世紀にはアッシリア帝国によって滅ぼされた。しかし、アラム語はアッシリア時代にすでに国際商業語であり、その文字は西アジアで広く用いられた。
[糸賀昌昭]
前2千年紀末から前1千年紀前半にかけて東はエラムから西はレバノン山麓まで広範囲にわたって行動したセム系半遊牧民。前11世紀ころアラム人はユーフラテス川およびハブル川流域を占拠していくつもの王国をつくり,アッシリア帝国の西漸を妨げる最大の障害となった。アラム人の国はBit-Adini,Bit-Agusi,Bit-Halupeなど〈家〉を意味する単語Bitとそれぞれの国の王朝の創始者の名前とによって合成されるのが普通である。前855年ユーフラテス川北部沿岸のビト・アディニの征服をもってアッシリアと地中海を結ぶ道は開かれたが,ダマスクスのアラム人はシリア地方の盟主として栄え,前733ないし前732年に滅亡するまでアッシリア帝国に頑強に抵抗した。
執筆者:池田 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フェニキア人やヘブライ人と同じ北西セム語派に属する。遊牧生活を送っていたが,鉄器時代に入ると移動を開始,シリアからメソポタミア北部に定住し,ダマスクスをはじめとする小国家を建設した。のちに新バビロニア王朝を開くカルデア人もこの一派。隊商交易の分野で本領を発揮し広く各地に進出した結果,アラム語はオリエント世界の共通語となり,アラム文字は中央アジアや南アジアにまで伝播して多くの東方系諸文字を生んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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[古代の住民と文化]
住民の基本構成要素は最古の時代からセム系の民族を中心とした。すなわち,アモリ人(アムル人),カナン人,アラム人,ヘブライ人,フェニキア人,ナバテア人,モアブ人,アンモン人,エドム人などの北西セム語系諸族であり,他の民族(ギリシア人,ローマ人,フルリ人など)は一時的に勢力を伸ばしたにとどまった。しかし,これらのセム系民族も主としてアラビア半島の砂漠からの侵入民であり,7世紀以降のアラブの征服・移住も含め,波状の民族移動が起こること自体シリアの特色であった。…
…前14世紀以来,シリアおよび北部山岳地帯に接する領域を支配し,またバビロニアにも侵攻している。しかしこの頃,セム系アラム人が北部メソポタミアで有力となり,アッシリアは一時衰退した。のちアラム人の諸小国家はアッシリアの勢力回復とともに征服され,前8世紀末には政治的実体を失うが,アラム文字,アラム語は,メソポタミア全域に浸透した。…
※「アラム人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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