中田(読み)ナカダ

デジタル大辞泉 「中田」の意味・読み・例文・類語

なかだ【中田】

姓氏の一。
[補説]「中田」姓の人物
中田薫なかだかおる
中田喜直なかだよしなお

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精選版 日本国語大辞典 「中田」の意味・読み・例文・類語

なか‐だ【中田】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 中稲(なかて)の植えてある田。
    1. [初出の実例]「早田・中田之内検、任雅意一人遂之条、姧謀之至」(出典:京都大学文学部所蔵東大寺文書‐建武二年(1335)九月五日・東大寺学侶等起請文案)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 茨城県古河市地名江戸時代日光(奥州)街道栗橋と古河の間にあった宿駅で、利根川の渡河点にあたった。
    2. [ 二 ] 仙台市太白区の地名。江戸時代は奥州街道の増田(名取)と長町の間にあった宿駅。

ちゅう‐でん【中田】

  1. 〘 名詞 〙 田地を分けた等級の一つ。上田下田の間にあり、地味の中位な田。
    1. [初出の実例]「凡公田獲稲。上田五百束。中田四百束」(出典:延喜式(927)二六)
    2. [その他の文献]〔漢書‐食貨志〕

なかだ【中田・仲田】

  1. ( 「なかた」とも ) 姓氏の一つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中田」の意味・わかりやすい解説

中田(宮城県)
なかだ

宮城県北東部、登米郡(とめぐん)にあった旧町名(中田町(ちょう))。現在は登米市の中北部を占める地域。旧中田町は、1956年(昭和31)石森(いしのもり)町と宝江(たからえ)、上沼(うわぬま)、浅水(あさみず)の3村が合併して成立。2005年(平成17)迫(はさま)、登米(とよま)、東和(とうわ)、豊里(とよさと)、米山(よねやま)、石越(いしこし)、南方(みなみかた)、津山(つやま)の8町と合併して市制施行し、登米市となった。国道342号、346号、398号が通じる。迫川と北上(きたかみ)川に挟まれ、地域のほぼ半分を水田が占める。北部には名称の由来ともなった広大な中田沼があったが、明治末年に干拓され456ヘクタールの良田となった。1947年のカスリーン台風の襲来により上沼村大泉で北上川の堤防が決壊、現在の中田地区全域が泥沼と化し、復旧に1年近くを要した。米作が中心であるが、養豚団地や無加温ハウスの野菜団地がつくられ、畜産や園芸も盛んになってきている。中心集落の石森には中世の城跡があり、古碑、板碑が多い。伊達(だて)氏の藩政時代には笠原氏(かさはらうじ)が「所」拝領をしていた。また一帯新田集落が多い。弥勒(みろく)寺の弥勒菩薩坐像(ぼさつざぞう)は県の重要文化財だが、33年ごとに開帳される秘仏となっている。

[境田清隆]

『『中田町史』(1977・中田町)』



中田(茨城県)
なかだ

茨城県南西部、古河市(こがし)の一地区。利根(とね)川と渡良瀬(わたらせ)川の合流点に位置し、奥州・日光街道の宿場、河岸(かし)場として栄えた。寛永(かんえい)年間(1624~1644)対岸の栗橋宿(くりはししゅく)(埼玉県久喜(くき)市)と合(あい)の宿(しゅく)として造成された。

[編集部]


中田(富山県)
なかだ

富山県北西部、高岡市の一地区。旧中田町。市域南東部、庄(しょう)川右岸に位置し、江戸時代は加賀藩領。富山と石動(いするぎ)(小矢部(おやべ)市)を結ぶ上使往来の宿駅として、また市場町として発達した。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「中田」の意味・わかりやすい解説

中田[町]【なかだ】

宮城県北部,岩手県境に接する登米(とめ)郡の旧町。ササニシキなどの米を産し,野菜・果樹栽培,畜産も行う。主集落石森(いしのもり)は商業の中心。2005年4月登米郡町,登米町,東和町,豊里町,米山町,石越町,南方町,本吉郡津山町と合併し市制,登米市となる。62.23km2。1万7121人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中田」の意味・わかりやすい解説

中田
なかだ

宮城県北東部,登米市中北部の旧町域。北上川中流西岸にある。北は岩手県に接する。 1956年石森町と宝江 (たからえ) 村,上沼 (うわぬま) 村,浅水 (あさみず) 村の3村が合体して成立。 2005年町,登米町,東和町,豊里町,米山町,石越町,南方町,津山町の8町と合体して登米市となった。中心地区は石森で市場町として発達。北東部の北上川流域に広がる中田沼が干拓されて,水田地帯を形成。米作が行なわれ,畜産も盛ん。上沼はキュウリの特産地。

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改訂新版 世界大百科事典 「中田」の意味・わかりやすい解説

中田 (なかだ)

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世界大百科事典(旧版)内の中田の言及

【石盛】より

…斗代の決定は,田畑の優劣によって上,中,下,下々などに位付けし,上田と見立てた場所2~3ヵ所で1坪(約3.3m2)ごとの坪刈りをし,もし坪当り平均籾1升(約1.8l)があれば1反(約991.7m2)で3石(約541.2l)あり,それを五分摺りすれば玄米1石5斗を得るから,1斗(約18l)の15倍ということで〈15の盛〉または〈1石5斗代〉といった。中田以下は二つ下りで中田は13,下田は11,下々田は9,畑は上畑が12,以下二つ下り,屋敷地は12の盛とするのが普通であった。太閤検地段階ではまだ斗代はかなり多様で,1594年(文禄3)の島津分国検地では,同じ上田でも1石6斗代から1石代まで村によって4段階の差があり,屋敷地も1石3斗代と1石代との2種があった。…

【栗橋[町]】より

…町内は上町,中町,下町に分けられ,名主と利根川渡し船場役を兼帯した問屋が3名,年寄が3名交代で伝馬業務を勤めた。ただし栗橋宿は利根川の対岸下総国葛飾郡中田宿と合宿で半月交代で勤めた。このときは中田では栗橋を通過して幸手(さつて)へ,栗橋では中田を通過して古河(こが)へ継ぎ送る例であった。…

【房川渡】より

…日光道中,栗橋(現,埼玉県栗橋町)と中田(現,古河市)の間の利根川を房川といい,この渡しを房川渡と称した。川幅214間(約387m)。…

【早田】より

…平安時代になると,さらに中間の〈なかて(中稲)〉が現れた。早稲を作付けするのが早田,中稲をつくるのは中田(なかだ),晩稲をつくるのが晩田(おくてだ)と呼ばれた。12世紀初頭には,一郡全体が早田であるという例もあり,また讃岐国善通寺・曼荼羅寺領の免田も4割が早田であった。…

※「中田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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