ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダルマパーラ」の意味・わかりやすい解説
ダルマパーラ
Dharmapāla
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…瑜伽行唯識派(ゆがぎようゆいしきは)の所属で十大論師の一人。サンスクリット名はダルマパーラDharmapāla。南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが,王の娘との結婚式の夕べに出家した。…
…スリランカ(セイロン)のダルマパーラにより創立された仏教団体。1815年,イギリスはキャンディにあった最後のシンハラ王朝を滅ぼし,スリランカ全土を手中におさめた。…
…インド亜大陸で最大の規模の仏教僧院址がある。出土した粘土板の文字から,古名をソーマプラSomapuraといい,パーラ朝第2代王ダルマパーラ(在位770ころ‐810ころ)の創建であることがわかった。1辺約300mの正方形の囲壁の内側に177の僧房が並び,内庭の中央に四方に階段のある十字形の精舎(基壇は109m×96m)があった。…
…8世紀中ごろから12世紀までインドのベンガルを支配した王朝。ハルシャ・バルダナの没後の小国分裂の〈弱肉強食の混乱状態〉のとき,ゴーパーラGopāla(在位750ころ‐770ころ)がベンガルを統一して王位に就き,その子ダルマパーラDharmapāla(在位770ころ‐810ころ)はビハールを領域に加えカナウジまで進出して,インド最大の勢力となった。このときから西のプラティーハーラ朝,デカンのラーシュトラクータ朝と抗争してインドの覇権を争った。…
…石よりも煉瓦,粘土,木を多用し,沖積層という軟弱な土質のうえに高温多湿で,人工的な破壊もあって,遺構・遺品ともに少ない。北西部のラージシャーヒ県のパハールプルで発掘されたソーマプラ寺はパーラ朝最盛期のダルマパーラ(在位770ころ‐810ころ)の創建になり,最末期の仏寺の伽藍配置の典型である。そのストゥーパ基壇を飾っていたテラコッタ製浮彫板はパーラ彫刻の代表作の一つ。…
※「ダルマパーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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