日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラーシュトラクータ朝」の意味・わかりやすい解説
ラーシュトラクータ朝
らーしゅとらくーたちょう
Rārakūa
インドのデカンで8世紀中ごろから10世紀後半まで統治した王朝。バーダーミに都したチャールキヤ朝にかわって、753年ごろチャールキヤ朝の部将ダンティドゥルガが王位を獲得し、ハイデラバードの近くのマンヘードに都して、デカンを統治した。第2代クリシュナ(在位756~773)は王国の体制を固め、マイソールやアーンドラにも勢力を伸ばし、エローラにカイラーサナータ寺院を建立。当時ガンジス中流域にはプラティーハーラ朝、同下流域にはパーラ朝、デカン半島南部にはパッラバ朝という強大な王国があって、この王朝はこれらとの間に戦争を繰り返した。とりわけ、ドゥルバとゴービンダ3世は北インドに大遠征を行い、プラティーハーラ朝の都カンノージ(カナウジ)を占領したことがあった。だが占領した遠方の地を長年にわたって支配することはなかった。9世紀後半からこの王朝はしだいに衰え、東からチャールキヤ朝、南からチョーラ朝に攻められ、973年、勢力下にあったチャールキヤ家のタイラによって滅ぼされた。
[山崎利男]