トインビー・ホール

大学事典 「トインビー・ホール」の解説

トインビー・ホール

イングランド国教会の牧師サミュエル・バーネット,S.とその妻ヘンリエッタにより,1884年,ロンドンの貧民地区イースト・エンドに設立された,ボランティアによる教育・福祉活動の拠点。前年の1883年に死去した友人であり同志であった,オックスフォード大学の歴史家で社会改革者アーノルド・トインビー,A.(Arnold Toynbee,1852-83)を記念して開設された。オックスフォードやケンブリッジの学生が当該地域に住み込んで社会福祉活動を行い,そのことを通じて貧民の生活実態や現実の社会問題に向き合い,その解決方策を考える場となるようにとの期待を込めてのことであった。歴代の在住者の中にはR.H. トーニー,A.D. リンゼイ,クレマン・アトリー,ウィリアム・ベヴァリッジなどがいる。また,のちにノーベル平和賞を受賞したジェーン・アダムズ,J.は,トインビー・ホールを訪れた際の体験を基にシカゴのハル・ハウス(アメリカ)を創設した。日本最初のセツルメントキングスレー館(日本)」を創設(1897年)した片山潜も1894年に訪ねている。当ホールは,その後世界各地に広がった大学セツルメントパイオニアであり,その活動は今日までずっと受け継がれている。
著者: 安原義仁

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトインビー・ホールの言及

【イギリス】より

…69年には慈善組織協会(COS(コズ))が発足し,調査にもとづく自立の援助という近代的社会事業の先駆けとなった。84年にはトインビー・ホールが建設され,セツルメント活動の最初の拠点となった。
[社会保険から福祉国家へ]
 1880年代以降,失業問題が深刻になると慈善事業はしだいに力を弱めた。…

【セツルメント】より

…そして貧困を除去するために社会改良が重要であるとし,このために知識人がスラムに住み込んで貧困についての人々の認識を改めさせると同時に,スラムの人々との知的および人格的接触を通して,その自覚を促していく必要を主張している。この考え方は,1884年にS.バーネット夫妻を中心にして設けられたロンドンのトインビー・ホール(A.トインビーにちなみ命名)で具体化され,これが最初のセツルメントとされている。アメリカではJ.アダムズが89年にシカゴに建てたハル・ハウスがセツルメント運動をアメリカに広げる端緒を開いたといわれている。…

【トインビー】より

…とくに後者については,その主張はJ.H.クラッパムらの〈楽観説〉派から〈トインビー伝説〉と批判されたが,彼の立場への支持もいまだになくなってはいない。なお,イースト・エンドに現存する〈トインビー・ホールToynbee Hall〉は,その没後,1884年に彼を記念してS.A.バーネットが設立した世界最初のセツルメントである。【川北 稔】。…

【バーネット】より

…キリスト教社会主義者としてセツルメント運動を行っている。A.トインビーに影響を与え,トインビー没後にその名を冠した世界最初のセツルメント・ハウス〈トインビー・ホール〉の初代館長となり,1906年まで活躍した。1881年に来日したこともあるが,その活動は本国はもちろん他の多くの国々の社会改良運動に大きな影響を与えている。…

※「トインビー・ホール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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