セツルメント(読み)せつるめんと(英語表記)settlement

翻訳|settlement

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セツルメント」の意味・わかりやすい解説

セツルメント
せつるめんと
settlement

原義住居を定めて身を落ち着けること、定住。転じて、インテリゲンチャや学生が労働者街、スラムに定住して、労働者、貧困者との人格的接触を通して援助を与え、自力による生活の向上、社会的活動への参加を行わせるための運動・活動、施設、団体のことをいう。隣保事業ともいう。

 セツルメントは、イギリスロンドンのスラム、イーストエンドオックスフォード大学教授A・トインビーを中心にオックスフォードケンブリッジ両大学の学生が住み着いたのが始まりで、1884年、セツルメント・ハウスであるトインビー・ホールToynbee Hallがつくられた。大学人の手によって始められたので大学拡張運動、大学植民事業ともよぶ。アメリカでは1886年、ニューヨークに最初のセツルメントがつくられ、1889年、J・アダムズによりシカゴのスラム、ホルステットにつくられたセツルメント・ハウス、ハル・ハウスHull Houseが有名である。アメリカでは人種問題、移民問題が活動の中心であった。

 日本では、1891年(明治24)の宣教師アダムズAlice Pettee Adams(1866―1937)による岡山博愛会が最初ともいわれるが、セツルメント・ハウスとしては片山潜(せん)による1897年の東京市神田三崎町のキングスレー館Kingsley Hallが最初とされている。その後セツルメントは社会主義運動と結び付いて行われ、関東大震災後、急速な発展を遂げた。1925年(大正14)東京市本所に東京帝国大学学生セツルメントが学生セツルメントの初めとして生まれ、弾圧にあいながらも本格的な活動を続けた。

 1870年代から1920年代までの帝国主義段階におけるセツルメントは、時代の必要性に対応して重要な役割を果たしてきた。第一に、貧困は個人の性格や怠惰による問題ではなく、基本的には資本主義社会の構造に起因するものであることを実証したロウントリイ(ラウントリー)などによる科学的な貧困調査に先鞭(せんべん)をつけたこと、第二に、労働者の生活実態に触れて苦汗産業キャンペーンを展開して、イギリスで1909年に賃金規則の成立を導き、最低賃金制度の確立に寄与したこと、第三に、労働者教育活動やクラブ活動を通じて労働者教育活動を発展させたこと、第四に、地域社会を組織して地域社会福祉事業を前進させたことなどである。しかし、1930年代以降、とくに第二次世界大戦後になると、セツルメントは、労働運動、都市計画と住宅政策、学校教育や社会教育、社会保障などの社会諸サービスの前進・充実により、その活動領域は縮小し、活動量も減少している。

[横山和彦]

『音田正巳著『セツルメント』(大阪社会事業短期大学編『社会事業講座 第二巻』所収・1950・福祉春秋社)』『J・アダムズ著、柴田善守訳『ハル・ハウスの二十年』(1969・岩崎学術出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セツルメント」の意味・わかりやすい解説

セツルメント
settlement

宗教家や学生などによる社会の下層に属する人々に対する社会事業の一つ。主として宗教的,教育的立場からなされるものが多い。その事業内容はさまざまであるが,一般に,保育,学習,クラブ,授産,医療,各種相談などがある。 1884年,ロンドンでケンブリッジ,オックスフォード大学の学生らが A.トインビーを中心として労働者たちの教育にあたったトインビー・ホールがこのセツルメント活動の最初である。日本でも外国人宣教師によって明治時代に始められたが,片山潜が 1897年にキングズレー・ホールを中心に活動したのを一般に始めとする。その後この活動は社会主義運動とともに活発化し,1925年東京本所に東京帝国大学の学生セツルメントが生れ,学生による活動のさきがけとなった。

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