ナタリー バイ(英語表記)Natharie Baye

20世紀西洋人名事典の解説


1948 -
フランスの女優。
マネヴィル生まれ。
17才の時ニューヨークに渡り、バレー学校に通う。帰国後奨学金を得て、演技学校、コンセルヴァトワールで学んだ。1972年に「ふたり」で映画デビューし、同年フランソワ・トリュフォー監督の「アメリカの夜」でスクリプト・ガール役を演じる。その後しばらくは舞台で活動していたが、’77年に「恋愛日記」、「緑の部屋」でヒロイン役を演じて以来頭角を現す。’81年「Sauve Qui Peut la Vie」でセザール賞助演女優賞を受賞した。他に「愛しきは、女」(’83年)などに出演。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

現代外国人名録2016の解説

職業・肩書
女優

国籍
フランス

生年月日
1948年7月6日

出生地
マネヴィル

本名
メズニル,ジュディス

学歴
パリ・コンセルヴァトワール

受賞
セザール賞助演女優賞〔1981年〕「Sauve qui peut」,セザール賞主演女優賞(第8回)〔1983年〕「愛しきは、女」,ベネチア国際映画祭主演女優賞(第56回)〔1999年〕「ポルノグラフィックな関係」,セザール賞主演女優賞(第31回)〔2006年〕「Le Petit Lieutenant」

経歴
15歳でモンテカルロのバレエの名門校に入学。17歳の時ニューヨークへ行きオペラ・ガールとして働きながらバレエ学校に通う。帰国したが仕事がなく、奨学金を得て演技学校のルネ・シモンのコース、次いでコンセルヴァトワールで学び、俳優エージェントと契約。1972年映画「ふたり」の端役でデビュー。これが契機となり’73年フランソワ・トリュフォー監督の「アメリカの夜」に出演。続く「La gueule ouverte」が不評で仕事がなくなり、しばらく舞台に立つ。’77年トリュフォー監督の「恋愛日記」、’78年「緑色の部屋」に主演。その後もトリュフォー、ジャン・リュック・ゴダールらフランスを代表する監督たちの作品に数多く出演し、フランスで最も人気ある女優になる。’99年「ポルノグラフィックな関係」でベネチア国際映画祭主演女優賞を受賞。他の作品に「勝手に逃げろ/人生」(’80年)、「愛しきは、女/ラ・バランス」(’82年)、「ゴダールの探偵」(’85年)、「夏に抱かれて」(’87年)、「セ・ラ・ヴィ」(’90年)、「バルニーのちょっとした心配事」(2000年)、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002年)、「わたしはロランス」(2014年)、記録映画「フランソワ・トリュフォー/盗まれた肖像」(1993年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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