フランスの映画監督。パリ生まれ。『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を書きながら短編を数本撮ったのち、『勝手にしやがれ』(1959)で監督としてデビューし、その新鮮な映像感覚でヌーベル・バーグの先頭にたつ。以来『女と男のいる舗道』(1962)、『気狂(きちが)いピエロ』(1965)、『中国女』(1967)と、即興演出、映画や書物の引用、物語の攪乱(かくらん)、映像と音の乖離(かいり)、フィクションとノンフィクションの融合など、映画そのものを問いかける。1968年五月革命以後「ジガ・ベルトフ集団」を結成して、『東風』(1969)、『イタリアにおける闘争』(1970)など映画と政治の関係に向かうが、その後はビデオを中心とした「ソニマージュ工房」を設立し、『パート2』(1975)、『6×2』(1976)、『こことよそ』(1976)など日常問題を教育的に追求する。1978年にはカナダのモントリオールで自伝的映画史の講義を行い、1970年代後半から1980年代に入ると『勝手に逃げろ/人生』(1979)、『パッション』(1982)、『カルメンという名の女』(1983)など劇場用映画に復帰。その後も『ゴダールのリア王』(1987)、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)、『ゴダールの決別』(1993)など、映画やテレビなどでゴダールならではの独自の世界を旺盛(おうせい)に発表した。
[村山匡一郎]
水の話 Une histoire d'eau(1958)
コンクリート作業 Opération 'Béton'(1958)
男の子の名前はみんなパトリックっていうの Charlotte et Véronique, ou Tous les garçons s'appellent Patrick(1959)
勝手にしやがれ À bout de souffle(1959)
シャルロットとジュール Charlotte et son Jules(1960)
小さな兵隊 Le petit soldat(1960)
女は女である Une femme est une femme(1961)
新・七つの大罪~「怠惰」 Les sept péchés capitaux - La paresse(1962)
女と男のいる舗道 Vivre sa vie : Film en douze tableaux(1962)
カラビニエ Les carabiniers(1963)
ロゴパグ~「新世界」 Ro.Go.Pa.G. - Il nuovo mondo(1963)
軽蔑 Le mépris(1963)
はなればなれに Bande à part(1964)
時間の暗闇の中で Dans le noir du temps(1964)
世界詐欺物語~「立派な詐欺師」 Les plus belles escroqueries du monde - Le Grand escroc(1964)
恋人のいる時間 Une femme mariée(1964)
アルファヴィル Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution(1965)
パリところどころ~「モンパルナスとルヴァロア」 Paris vu par...- Montparnasse-Levallois(1965)
気狂いピエロ Pierrot le fou(1965)
男性・女性 Masculin féminin(1965)
メイド・イン・U.S.A. Made in U.S.A.(1966)
彼女について私が知っている二三の事柄 2 ou 3 choses que je sais d'elle(1966)
愛すべき女・女(めめ)たち~「2001年愛の交換 未来」 Le plus vieux métier du monde - Anticipation, ou l'amour en l'an 2000(1967)
中国女 La chinoise(1967)
ベトナムから遠く離れて~「カメラの眼」 Loin du Vietnam - Camera-Eye(1967)
ウイークエンド Week End(1967)
ありきたりの映画 Un film comme les autres(1968)
ワン・プラス・ワン Sympathy for the Devil(1968)
愛と怒り~「愛」 Amore e rabbia - L'Amore(1969)
たのしい知識 Le gai savoir(1969)
ブリティッシュ・サウンズ British Sounds(1969)
東風 Le vent d'est(1969)
イタリアにおける闘争 Lotte in Italia(1970)
ウラジミールとローザ Vladimir et Rosa(1970)
万事快調 Tout va bien(1972)
うまくいってる? Comment ça va?(1975)
パート2 Numéro deux(1975)
ヒア&ゼア こことよそ Ici et ailleur(1976)
6×2 Six fois deux / Sur et sous la communication(1976)
勝手に逃げろ/人生 Sauve qui peut (la vie)(1979)
フレディ・ビアシュへの手紙 Lettre à Freddy Buache(1981)
パッション Passion(1982)
カルメンという名の女 Prénom Carmen(1983)
ゴダールのマリア Je vous salue, Marie(1984)
ゴダールの探偵 Détective(1985)
映画というささやかな商売の栄華と衰退 Série noire - Grandeur et décadence d'un petit commerce de cinéma(1986)
アリア~「アルミードとルノー」 Aria - Armide(1987)
ゴダールのリア王 King Lear(1987)
右側に気をつけろ Soigne ta droite(1987)
ゴダールの映画史 第1章 すべての歴史 Histoire(s) du cinéma : Toutes les histoires(1988)
ゴダールの映画史 第2章 単独の歴史 Histoire(s) du cinéma : Une histoire seule(1989)
ヌーヴェルヴァーグ Nouvelle vague(1990)
新ドイツ零年 Allemagne 90 neuf zéro(1991)
ゴダールの決別 Hélas pour moi(1993)
JLG 自画像 JLG/JLG - autoportrait de décembre(1995)
フォーエヴァー・モーツァルト For Ever Mozart(1996)
映画史特別編 選ばれた瞬間 Moments choisis des histoire(s) du cinéma(1998)
愛の世紀 Éloge de l'amour(2001)
時間の暗闇の中で Dans le noir du temps(2002)
10ミニッツ・オールダー イデアの森~「時間の闇の中で」 Ten Minutes Older : The Cello - Dans le noir du temps(2002)
アワーミュージック Notre musique(2004)
ゴダール・ソシアリスム Film socialisme(2010)
『ジャン・コレ著、竹村健訳『現代のシネマ1 ゴダール』(1969・三一書房)』▽『蓮實重彦・柴田駿監訳『ゴダール全集』全4巻(1970~1971・竹内書店)』▽『奥村昭夫編訳『ゴダールの全体像』(1979・三一書房)』▽『梶原和男責任編集『シネアルバム104 ゴダールの全映画』(1983・芳賀書店)』▽『アラン・ベルガラ編、奥村昭夫訳『リュミエール叢書30 ゴダール全評言・全発言Ⅰ 1950~1967』(1998・筑摩書房)』▽『アラン・ベルガラ編、奥村昭夫訳『リュミエール叢書31 ゴダール全評言・全発言Ⅱ 1967~1985』(1998・筑摩書房)』▽『細川晋監修『E/Mブックス2 ジャン=リュック・ゴダール』(1998・エスクァイアマガジンジャパン)』▽『杉原賢彦・編集部編『CineLesson 3 ゴダールに気をつけろ!』(1998・フィルムアート社)』▽『アラン・ベルガラ編、奥村昭夫訳『リュミエール叢書33 ゴダール全評言・全発言Ⅲ 1984~1988』(2004・筑摩書房)』▽『アラン・ベルガラ編、奥村昭夫訳『リュミエール叢書38 60年代ゴダール』(2012・筑摩書房)』
フランスの映画監督。グリフィスとエイゼンシテイン以来,彼ほど根底から映画の概念を変革した作家はいないといわれる。フランソア・トリュフォーは〈ゴダールは映画の制度そのものを粉砕した--絵画におけるピカソのように,映画のすべてをかく乱することによって,すべてを可能にしたのである〉と評している。絶えざる解体と変貌を繰り返し続けて,映画史上もっともつかみにくく定義しがたい映画作家といわれる。パリ生れのフランス人だが,〈兵役忌避のために〉スイス国籍をとる。クロード・シャブロル,トリュフォーに次いで,アンドレ・バザンの主宰する映画研究誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家から映画監督となる。長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)は,カメラが現場で一瞬,一瞬すべてを創造していく新鮮な即興演出,カットつなぎを無視した大胆な編集,インタビューやモノローグをまじえた多彩な映像と言語の引用によるコラージュ的な構成などで人々に衝撃を与えた。この作品によって,一躍,ヌーベル・バーグの旗頭となり,以後,1年に2本の割合で次々に問題作を発表し,1960年代のもっとも個性的で,もっとも豊饒(ほうじよう)で,もっとも重要な映画作家となる。〈シネマテーク・フランセーズ〉のアンリ・ラングロアや映画史家のルイジ・キアリーニによって〈ゴダール以前〉の映画と〈ゴダール以後〉の映画という映画史の区分さえ生み出される。
コンピューターによって管理された未来社会を描いた《アルファヴィル》(1965)はマルセル・デュシャンによって〈サイバネティックス映画の傑作〉と評され,《気狂いピエロ》(1965)はアラゴンによって〈コラージュの傑作〉と絶賛された。映画が他の分野の芸術家をこれほど熱狂させたのはおそらくチャップリン以来のことといえよう。現代社会の縮図としてとらえられたセックスのテーマ(《女は女である》(1960),《恋人のいる時間》(1964)における姦通,《女と男のいる舗道》(1962),《彼女について私が知っている二,三の事柄》(1966)における売春),社会的・政治的寓話の形式による文明批評の試み(《カラビニエ》1963,《アルファヴィル》),ドキュメンタリーを〈フィクションの真実〉で味付けしたシネマ・ベリテ(ゴダール自身は自分の映画を完結された作品ではなく,〈現在進行形の映画〉と呼ぶ)の試み(《男性・女性》1966),〈歴史の証言者〉としての実在の人物の引用(《女と男のいる舗道》における哲学者のブリス・パラン,《軽蔑》(1963)における映画監督のフリッツ・ラング,等々),そして《小さな兵隊》から《気狂いピエロ》を経て《メイド・イン・USA》に至る7作品までが当時のゴダールの妻で,彼にとって〈永遠のヒロイン〉であり〈狂気の愛〉であった女優のアンナ・カリーナをヒロインにしていることも注目されよう。次いで,67年,9ヵ月後の五月革命の勃発を予言した《中国女》(アンナ・カリーナに次いでゴダール夫人になるアンヌ・ビアゼムスキーが主演)によって,現実をあるがままにとらえる単なる〈実写〉ではなく,逆に現実を誘発し,惹起(じやつき)するというゴダールの〈ドキュメンタリズム〉はその頂点に達した。また,パリからいなかへ出かける週末の喧騒を描いた《ウィークエンド》では,現代のおとぎ話の形をとった文明批評が車の炎上と虐殺のテーマとともに黙示録的なイメージにまで昇華される。68年5月の動乱以後のゴダールは,〈ゼロに戻って再出発する〉ことを宣言する。ブルジョア文化としての映画の制度,方法,概念,すべてを根底的に廃棄し,五月革命の若き指導者であったダニエル・コーン・ベンディットと共同で《東風》(1969)を,マルクス=レーニン主義の思想家ジャン・ピエール・ゴランと共同で《万事快調》(1971)などをつくり,〈ジガ・ベルトフ集団〉を結成して,〈ヌーベル・バーグ〉によって打ち立てられた個人としての〈作家の映画〉の概念を否定し,反ブルジョア的な〈集団映画〉を志向し,マルクス=レーニン主義と階級闘争のテーマを,〈政治映画として撮るのではなく,純粋に政治的に映画化する〉試みを行う。ゴランと決別し,〈ジガ・ベルトフ集団〉の解散後も,〈集団映画〉(あるいは個人としては〈報道の根底的再組織〉をめざす一闘士たること)への志向は持続し,パリを去ってグルノーブルにVTRのスタジオ〈Sonimage〉(音=sonと映像=imageを組み合わせた名称)をつくって,3人目の妻となる思想家・運動家のアンヌ・マリー・ミエビルと共同で,現代の消費社会における性と政治をテーマにしたVTR作品《勝手にしやがれNo.2》(のち《No.2》とのみ改題,1975),パレスチナ革命の思想方法と工作方法をテーマにした《ヒア&ゼア こことよそ》(1976),そしてグルノーブルからジュネーブに居を移してからの《パッション》(1982),《カルメンという名の女》(1983)に至るまで,その試みは続いている。
しかし,《カルメンという名の女》にはゴダール自身が新しい映画を企画中の映画監督の役で出演して,バスター・キートンの写真集をいつもだいじにもっていたり,ルイス・ブニュエルの映画《それを暁と呼ぶ》(1955)がラストのせりふに使われていたりして,いわば〈映画〉への帰還が予告されている。
執筆者:山田 宏一
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…1959年製作のフランス映画で,〈ヌーベル・バーグ〉の金字塔的作品となったジャン・リュック・ゴダール監督の長編映画第1作。自動車泥棒と警官殺しの犯人であるアナーキーな青年が,恋人のアメリカ娘に密告され警官に射殺されるまでを,原題(《息切れ》)そのままに鮮烈に息せき切ったリズムで描く。…
…1965年製作のフランス映画。〈ヌーベル・バーグとはゴダール・スタイルのことだ〉とジャン・ピエール・メルビル監督にいわしめた衝撃のデビュー作《勝手にしやがれ》(1959)以来,映画の文法や概念そのものを覆しつつ,映画とは何かを問い続けてきたジャン・リュック・ゴダール監督の9本目の長編作品である。漫画本から詩,絵画,哲学,ミステリー小説,映画等々に至る無数の引用に彩られた〈ゴダール・スタイル〉の頂点ともいうべき作品で,《芸術とは何か,ジャン・リュック・ゴダール?》と題する長い賛辞をこの映画にささげた詩人のルイ・アラゴンによって,絵画の〈コラージュ〉に匹敵する映画として評価された。…
…カメラの前で現実の人間に〈真実〉を語らせるというシネマ・ベリテの方法は,ルーシュの手持ちカメラと社会学者エドガール・モランのインタビューを通して1961年の夏のパリの〈状況〉を生々しくとらえた《ある夏の記録》,そして同じ方法で62年5月のパリの〈状況〉を生々しくとらえたクリス・マルケルの《美しき五月》をへて,やがてテレビのインタビュー番組やドキュメンタリー番組の方法に移行し,一般化し,風化していくことになる。しかし他方では,ジャン・リュック・ゴダールが劇映画のなかにカメラを目撃者として生の人間にインタビューを行うというシネマ・ベリテの方法を採り入れて衝撃的な成果をあげたことも注目される。 シネマ・ベリテは,新しいドキュメンタリー映画の方法=運動として,ジャン・ルーシュの映画のカメラマンをつとめたカナダ人のミシェル・ブローを通じてカナダにも広がっていく。…
…58年には14人,59年には22人の新人監督が長編映画の第1作を撮るという,かつてない激しい映画的波動がわき起こり,さらに60年には43人もの新人監督がデビュー,アメリカの雑誌《ライフ》が8ページの〈ヌーベル・バーグ〉特集を組むに至って,世界的な映画現象として認識されることになった。 こうしたフランス映画の若返りの背景には,国家単位で映画産業を保護育成する目的で第2次世界大戦後につくられたCNC(フランス中央映画庁)の助成金制度が新人監督育成に向かって適用されたという事情があるが,その傾向を促すもっとも大きな刺激になったのが,山師的なプロデューサー,ラウール・レビRaoul Lévy(1922‐66)の製作によるロジェ・バディムRoger Vadim(1928‐ )監督の処女作《素直な悪女》(1956)の世界的なヒット,自分の財産で完全な自由を得て企画・製作したルイ・マルLouis Malle(1932‐95)監督の処女作《死刑台のエレベーター》(1957)の成功,そしてジャン・ピエール・メルビル監督の《海の沈黙》(1948)とアニェス・バルダ監督の《ラ・ポワント・クールト》(1955)の例にならった〈カイエ・デュ・シネマ派〉の自主製作映画の成功――クロード・シャブロルClaude Chabrol(1930‐ )監督の処女作《美しきセルジュ》(1958),フランソワ・トリュフォー監督の長編第1作《大人は判ってくれない》(1959),ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)――であった。スターを使い,撮影所にセットを組んで撮られた従来の映画の1/5の製作費でつくられたスターなし,オール・ロケの新人監督の作品が次々にヒットし,外国にも売れたのであった。…
※「ゴダール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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