改訂新版 世界大百科事典 「バルトロッツィ」の意味・わかりやすい解説
バルトロッツィ
Francesco Bartolozzi
生没年:1727-1815
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…コンスタンツの和約(1183)などを契機に独自の立法権の拡大に努めていた北イタリアのコムーネ(自治都市)の間の交流関係は,各コムーネの制定した条例statutaがその制定領域を超えて域外にも及ぶか,その臣民以外の者をも拘束するかという問題を投げかけた(〈条例理論〉の項参照)。これに対する解決指針をローマ法に始まり当時に至る諸説を理論的に整備集大成して体系化を図ることによって呈示したのがバルトルス(1314‐57)であり,彼は国際私法学の始祖といわれている。この理論をより洗練して人法・物法・混合法の3種に区分する手法をまとめたB.ダルジャントレ(1519‐90),当事者の黙示意思を準拠法選択の規準にとり,後世の当事者自治論への契機を与えたC.デュムーラン(1500‐66)の時代を経て,ウェストファリア条約(1648)の下で中世的飛地支配が一円的領域支配を基盤とする主権的統治体の並立という体制に代わる。…
… 以上のように,コムーネは事実上の主権国家であった。14世紀の法学者バルトルスは,コムーネのことを〈上位者を認めない都市〉とし,〈都市はそれ自体君主である〉と述べた。南イタリアの場合はアマルフィ,バーリ,ガエタ,ナポリなど早くから活発な商業活動を展開した都市があったが,ノルマン人の征服によって11,12世紀に集権的国家が建設され,さらにこれがホーエンシュタウフェン家に引きつがれたため,都市国家の発展は見られなかった。…
※「バルトロッツィ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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