新撰 芸能人物事典 明治~平成 「小勝」の解説 小勝コカツ 職業芸妓 経歴明治時代の芸妓。東京・日本橋大工町で芸妓となるが、熊本鎮台陸軍少将の種田政明に落籍され熊本に移る。明治9年10月神風連の襲撃をうけ、政明は斬殺され、小勝も負傷した。治療のため熊本城内の陸軍病院に送られ、10年回復したが、ここで西南戦争がおこり、そのまま籠城官軍傷病兵の看護に当たった。一躍有名人となり、講談師の新作講談で語られたり、画家によって錦絵に描かれたりした。乱鎮定後、東京に戻り、再び下谷数寄屋町から芸妓に出た。 没年月日(生没年不詳) 伝記「断腸亭」の経済学―荷風文学の収支決算 吉野 俊彦 著(発行元 日本放送出版協会 ’99発行) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小勝」の解説 小勝 こかつ ?-? 明治時代の女性。もと東京日本橋の芸者。熊本鎮台司令長官となる種田政明に身請けされ,熊本にいく。明治9年(1876)神風連の乱で政明は殺され,自らは負傷。その際東京の両親に「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」の電報をうつ。熊本城内の陸軍病院で治療をうけて回復し,西南戦争がおきると籠城(ろうじょう)して負傷兵を看護。これらの行動が評判になり,講談や錦絵にとりあげられた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by