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ピクト人 ピクトじんPicti; Picts

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピクト人
ピクトじん
Picti; Picts

古代スコットランドにいた民族。その言語はインド=ヨーロッパ語系には属さないといわれる。 pictiは「彩色された」などの意味があり,彼らが入墨の習慣をもっていたことを暗示する。3世紀末から記録に現れ,367年頃から王国を形成し,ローマを攻撃した。7~8世紀に強盛を誇り,843年頃スコットランドの他部族と合し,ケネス・マクアルピンが支配権を握った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内のピクト人の言及

【イギリス】より

…しかしローマの支配は収奪のための軍事的・政治的な性格にとどまり,ブリトン人の社会にそれほど大きな刻印を及ぼすものではなかった。4世紀に入り,ヨーロッパで民族大移動が始まったころ,ブリタニアでも北方からピクト人,西方のスコット人など外民族の侵入が開始された。ローマは大陸の防衛のためブリタニアの軍隊を引き上げ,410年皇帝ホノリウスはブリタニアの放棄を宣言し,ここにローマン・ブリテン時代は終わった。…

【シェルタ語】より

…1876年に言語学者レランドCharles Godfrey Lelandが,ロンドンで漂泊民から採取したのが発端。一時はジプシーの方言と考えられたが,言語学的にはケルト語派に属するという説が有力となり,一部ではさらに古い起源をもつとされるピクト人の言語に比定された。現在では漂泊民の隠語と考えられている。…

【スコットランド】より

…563年にはコルンバがアイオナ島に修道院を造り,ケルト系キリスト教を伝えた。従来の住民は北部に住みピクト人と呼ばれていたが,ウェールズからはブリトン人が南西部に来住し,6世紀後半にはアングル人が東部ローランドに定着。このうちスコット人が843年にピクト人を統合してアルバ王国を建設し,1034年にはその流れを汲むダンカン1世が上記4部族を統合してスコットランド王国を樹立した。…

※「ピクト人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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